文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(275)

最終更新日:

 前回は、山辺田窯跡製のような古九谷様式の大皿と、南京赤絵と称されるような小皿に使われてる赤絵の具が、はたして違うかどうかググってみてください、ってところで終わってました。なんぼ見比べても違いなんてありませんから。でも、ちゃんと山辺田窯跡と楠木谷窯跡の製品を比べなきゃ意味ないじゃんって厳格さを求められる方の場合は、「百花手」「承応貮歳」でググってみてください。「百花手」は山辺田窯跡のオリジナル商品ですし、高台内に2行に「承応貮歳」って染付銘を入れた製品は、紛れもなく楠木谷窯跡の製品ですので…。どうですか?どちらも濃い、ちょっと赤紫に近い赤ですから。

 でも、それじゃ、喜三右衛門さんの柿の実はどこいったってことになりますが…。いや、たしかに喜三右衛門さんは、赤に並々ならぬこだわりがあったことは間違いないんですよ。鮮やかに赤を発色させるために。では、喜三右衛門さんは、どんなTRICKを使ったんでしょうか?

 答えは、逆転の発想です。分かりますか?何と喜三右衛門さんは、赤絵の具の方じゃなくて、赤の映えるボディーの方を開発したってわけです。従来の色絵素地は、染付製品と質的にはいっしょでしたが、それを赤の映える色絵専用の素地を開発したわけですよ。それが、前回掲載した古九谷様式の白磁の写真みたいなやつです。

 この赤絵開発の経緯については、『酒井田柿右衛門家文書』の前に引用したものとは別の「親柿右衛門」の「申上口上」には次のような記述があります。

 

「一、(前略)伊万里津ニ罷居候東島徳左衛門と申す者、長崎ニ而志いくわんと申唐人ゟ赤絵伝受仕、右礼銀白銀拾枚差出、一〻ニ習取罷帰、左候而親柿右衛門、本年木山ニ而釜を焼罷居候処ニ、徳左衛門申候者長崎ニ而唐人ゟ赤絵付之儀とくと習取候条、赤絵をつけ可被申候、於然ハ相互ニ渡世可仕之通申ニ付而、一〻焼立見申候得共、終ニ出来不仕、大分之損失相立申候事。」

 

 この後、諦めずに工夫してやっと成功して、例の長崎に持っていって売ったという話に繋がるわけですが、そもそも伊万里の陶商東島徳左衛門さんが、長崎で「志いくわん」という中国人から赤絵の技法を伝授され、それを喜三右衛門さんに作ってねって話を持ちかけてきたというストーリーです。それで、お互いに一攫千金を狙って、喜三右衛門さんは徳左衛門さんが習ったとおりにいろいろやってみたんですが、ついにできずに大損したというオチです。まあ、世の中そう簡単にうまくはいきませんよね。それに、しょせんはやきもの作る人じゃなくて、商人さんが聞いてきた話ですしね。

 それで、これって従来の解釈では、柿の実の色を再現するために、なかなかできずに大損したって話になるわけですが、本当なんでしょうかね?

 ということで、この続きを話したいのは山々なんですが、まだ長くなるので、続きは次回ということで。(村)

このページに関する
お問い合わせは
(ID:258)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.