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有田の陶磁史(277)

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 前回は、きっと喜三右衛門さんは、柿の実印のキレイな赤の調合に苦労したんじゃなくて、上絵の具は従来そのまま、実は、その赤絵の具が映えるボディーの開発に苦労したんでしょうねって話をしてました。昔、昔は喜三右衛門が開発したのは、柿右衛門様式の製品だと思われていましたので、確かにそれなら、淡い朱色の赤ですから、なるほどと思われます。だけど、今では、喜三右衛門さんが色絵を開発した頃にはまだ柿右衛門様式はなく、古九谷様式だったことが判明していますからね。このボディー開発説、皆さま、どう思いますか?

 前にも話しましたが、ミスターXの開発した山辺田窯跡の万暦赤絵系の古九谷に、もともと無文の白磁素地はありません。高原五郎七さんの猿川窯跡の古染付・祥瑞系にも、最初は白磁素地はありません。ところが、喜三右衛門さんの南京赤絵系古九谷には、最初から白磁素地があるのです。

 しかも、この白磁は、単に染付が入ってないって意味での白磁ではありません。このブログをご覧の超マニアックな読者の方なら、柿右衛門様式の濁手はご存じかと思います。濁手素地は、釉薬が薄く、鉄分をかなり抜いていますので、呉須で絵を描いても黒くなってキレイに発色しません。呉須をキレイに発色させるためには、ある程度釉薬に鉄分が必要だということです。いくら白い素地でも、よく見ると、染付の入る素地の場合は、いくらか青みがあります。これは鉄分が還元焔焼成で発色するからです。つまり、濁手素地は、単に染付文様が入ってない素地ではないってことです。

 なぜ、こんな話をするのかって言えば、実は、楠木谷窯跡の白磁は、少なくとも肉眼で見る限りでは、柿右衛門窯跡の濁手と質的にはまったく見分けは付きません。つまり、南川原山における柿右衛門様式の確立以前に、少なくとも肉眼で見る限りは、すでに喜三右衛門さんは濁手のような素地を完成させていたのです。じゃあ、濁手の完成は楠木谷窯跡なのかってことですが、そう単純ではありません。

 そもそも、まだ柿右衛門様式の製品が、酒井田家のみで作られていたと考えられていた昭和初期。この頃に柿右衛門様式のボディーを表す用語として、「乳白手」が使われるようになります。そして、あんまり時期的に変わらない頃から、「濁(し)手」も使われるようになっています。今では耳にしませんが、「濁し」とは、もともと有田あたりで米のとぎ汁を指す言葉だそうです。

 つまり、濁手とは、柿右衛門様式の製品のボディーを指す用語なのです。ところが、楠木谷窯跡の時代は、白磁の上に乗るのは古九谷様式の絵付けです。ですから、厳密に言えば、質的にどうであろうが濁手とは呼べないわけです。いや、実際に柿右衛門様式の完成前に、同質の白磁素地が存在するんだから、これも濁手と呼ぶべきって世間で共通認識が得られるのなら、それでもいいですよ。今日からでも、そう変えますよ。

 あれ、話がそれてしまいましたが、ということで、本日は白磁の話で終わってしまいました。(村)

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