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有田の陶磁史(217)

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 前回まで、有田の磁器分類は、当初は後ろに「様式」という単語の付かない生産地別分類であり、それが作られたと考えられた場所別に“古九谷”や“柿右衛門”、“鍋島”、“古伊万里”みたいな名前が付けられたという話をしてました。でも、そうは言っても、出発点は似た製品を集めて、それを産地別に割り振ったわけですから、詰まるところ様式分類だったわけです。ところが様式分類との違いは、あくまでも産地別分類というのが定義ですので、必ずしも様式にこだわる必要もないわけです。そのため、たとえば前回お話ししたように、一時いいものは何でも“古九谷”、クズだけ“古伊万里”みたいなへんてこりんなことになってしまったりもしたわけです。

 それで、当時は“古九谷”って、やれ“狩野派”だ!“土佐派”だ!、有田のような職人の絵じゃないって某県あたりじゃさんざん盛り上がってたわけですが、今ではすっかり聞かなくなりましたが、あれはその後どうなったんでしょう?結局、職人の絵だったってオチですけど…。それとも、有田の職人は、“狩野派”や“土佐派”の絵心を身に付けていたってことでしょうか?

 おっと、こんな話をしてると、止めどもなく脱線していまいそうなので、磁器分類の話に戻ります。

 とりあえず、生産地別として大正から昭和初期に磁器の分類が定着したのですが、昭和30年代頃になると、ちょっとざわついてきます。昭和30年が西暦では1955年ですが、翌年の経済白書には「もはや戦後ではない」と戦後の復興期から脱したことが明記されました。何が言いたいのかと言えば、1653年からの神武景気や1958年からの岩戸景気などに象徴されるように、戦後から脱した日本は高度経済成長期を迎え、急速に豊かになったのです。

 あっ、もし若い方が読まれていると勘違いされると困りますので断っておきますが、豊かになったと言っても、今みたいにモノがあふれてる時代じゃありませんよ。もちろんネットもありませんし、自動車もよく見かけたのはバスくらいでしょうか。何しろ、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器と呼ばれて憧れを持って見られていた時代ですから。モノだけじゃありません。今のようにスマートな子ばかりじゃなくて、年中はな垂れ小僧もいっぱいいましたし、靴やズボンに穴空いてるガキとか、そうそう、当時のズボンはよくお尻のところが縫い目のところから割けたんですよ。うっかり股を広げるとバリッて感じで。今では普通になった小じゃれたお子さまは、良家のお坊ちゃまくらいでしたから。まあ、そんなことはどうでもいいですが、三種の神器とか、そういうものが段々普及したのが昭和30年代ということです。

豊かになって余裕ができたからでしょうか、古陶磁に関心を寄せる人も増えたのです。かつて、ヨーロッパなどに輸出されたものなども買い戻されるようになり、窯跡の陶片集めも盛んに行われるようになりました。

 ちなみに、有田の窯跡の陶片ということは、分類上は“古伊万里”の陶片ということになります。でも、“古伊万里”の陶片の中に随分古そうなものがあるって、言われるようになってきたのです。そこで、その古そうなものを“古伊万里”から分離して成立したのが、“初期伊万里”という区分です。

 話を戻すと、この頃、古陶磁に関心を持つ人が増えた分、研究する人のすそ野もずいぶん広がったのです。もちろん、まだ近世の考古学などなかった時代ですから、Proの研究者とはほぼ美術史です。というよりも、考古学なんぞは、まだ文献史学の補助学問的な扱いで、まっとうな人のするものではなかったのです。しかし、そうした職業学者とは別に、コレクターをはじめとする民間の研究者がドバッと増えたのです。そして、こういう人たちが骨董雑誌などを主な舞台に、かなりドンパチやっていたわけです。

 国内だけに限りません。イギリスなどでも、当時“古九谷”に分類されていた色絵磁器が、小さな産地であるはずなのに、ヨーロッパにたくさんあるのは変って話が出てきたりもしました。実は、九谷じゃなく有田産じゃない?ってことです。

 かくして、製品のスタイルの違いは産地の違いではなく、生産された時期の違いではって話になってきたのです。でも、まだ分からないし、九谷や柿右衛門っていう名前はすでに普及してるし、どうしよう?ってことになりました。しょうがないので、じゃ、一旦、産地という概念は置いといて、単純に製品のスタイルだけで分けることにしようということになったのです。でも、名前はすでに普及しているので、なかなか変えるのは大変そうです。そのため、産地別分類と区別するため、後ろに「様式」と付けることになったのです。これが、現在の様式分類のはじまりというわけです。

 今回は、いや、“も”ですが、くだらないこと書いてたので、ずいぶん長くなってしまいました。次回からは心を改めて、まじめに各様式の説明をしてみたいと思います。でも、これが単純そうで、実は全然単純じゃないんですよ。正確に言えば、美術史主導の頃は結構単純だったんですが、考古学が入ってくるようになってかき乱したもんですから。(村)

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