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有田の陶磁史(337)

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   前回は、嬉野の吉田皿屋と福山の姫谷に関して、技術は有田のどこの窯場から行ったんだろうって話をしてました。何で有田の技術って決めつけるんよってご意見もあるかと思いますが、さすがに1650年代前半までに色絵磁器の技術が存在するところって、日本広しと言えども他にはありませんのからねぇ…。ちなみに、波佐見でその時期の可能性のある採集品が1点ありますが、波佐見って確定もできないもんですし。

 とりあえず、吉田は丸尾窯跡の可能性が高くて、もしかしたら内山もあるかな~?ってことで、姫谷は楠木谷窯跡をはじめとする内山の要素も丸尾窯跡の要素もあってなかなか決定打ないですねってことで、あくまでも妄想レベルでは、その両方の陶工が行ったらああなるでしょうねってところ。九谷と違って、山辺田窯跡など黒牟田山の技術じゃないけどってことで終わってました。

あっ!言い忘れてましたが、姫谷のような内山的な要素も丸尾窯跡的な要素も感じられるような技術や製品構成を、あえてムリヤリ一つの窯場でクリアしようと思えば、一つだけ選択肢がありました。丸尾窯跡と同じ外尾山の外尾山窯跡です。この窯場は、外山でも最も南の一番内山寄りにあります。何度か記したことがありますが、この窯場って丸尾窯跡よりもさらに内山っぽい製品を焼いているんですよ。大きいのもあるし、小さいのも、変形皿なんてのもいっぱい。岩屋川内山の劣化版って記したこともあるかな。でも、やっぱ外山なんで白磁や青磁の大皿とか焼いてるし、この時期の外山では珍しくサヤ鉢もありますしね。もちろん、ロクロ成形のやつ。なんて、考えるとちょっとピッタリのような気もしてきましたね。ただ、丸尾窯跡と違って窯場は廃止にならずに存続したんですけどね。でも、ここは並行して複数の窯体が稼働してましたので、窯数は減ったのかもしれませんけど。

 と、ここまではよしとして、問題はこれからです。まだ問題あるのってとこですが、あるんですよ、これが…。だって成形しただけじゃ製品になんないですからね。日本磁器の場合は、白磁って少ないですから、下絵にしても上絵にしても、だいたい文様は入れますから。

 ところがです。実は、九谷にしても姫谷にしても、吉田は微妙ですが、染付製品も含めて、絵付けがゼンゼン有田っぽくないんですよ。同じ題材を描いていても、何だかちょっとね~。有田にはない構図や絵柄の製品も多いですし。概して、下絵である染付よりも、上絵の方がより稚拙っぽくてダメですね。いや、味があっていいじゃんって思うのは勝手ですけどね。

 たとえば、九谷というと、散々っぱら絵師の絵だとか脅すもんだから、さぞや立派なもんばっかりみたいなイメージがありますが、実際に九谷古窯や工房跡である九谷A遺跡の出土品見ると、う~んってもんが多いようで…。まだ姫谷の方がずいぶん上手なやつは上手ですが、有田の製品の絵付けと比べて、上手いヘタじゃなくて、上手さも下手さもちょっと感覚的に違うんですよ。吉田の場合は、たしかに肥前の匂いはしますけどね。でも、ちょっと描き方は雑かな。

 だから…です。作る人は行ったけど、もしかしたら、絵付けの職人行ってないんじゃないの?あるいは行ってても、絵の具の作り方とか絵付けを指導する程度のごくわずかな人数なのかなって思ってしまいますね。成形の方はそれなりに修行した人でないと形にならないけど、絵付けは素人でも、絵が自体が描けないってわけじゃないですからね。ワタシなんかのようなド素人でも器に絵は描けますが、やっぱ有田風な絵を描いたつもりでも、何だか独創的なゲージュツ作品に仕上がってしまいますからね。

 ということで、本日はこのへんにしときます。(村)

 

 

 

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