文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

有田の陶磁史(340)

最終更新日:

   前に内山の上絵付け工程の分業化の話をしてて、先に外山の窯場がどうなったかって話題に触れたところで話が脱線して本日を迎えました。本日こそは本題の内山の話をします。

 前にお話ししましたが、内山の窯場の製品は極度に技術の平準化が図られ、よほどのことがない限り、どこの窯場の製品なのかは見分けが付きません。色絵素地の場合は、本焼き業者である窯焼きが、登り窯で焼成した後、赤絵屋へと運ばれるわけですが、その素地が窯場による質差が大きかったら、まともに絵付けなんてできませんからね。同じものを大量に作るわけですから、素地もなるべく同質のものでないと、同じ製品になりませんので。

 思い出したのでお話ししておきますが、17世紀後半の色絵素地はその大半が白磁です。伝世品をイメージされた方だと、染付の入るもんも結構あるじゃんって思われるかもしれませんが、そりゃ伝世品だからですよ。並レベルの製品が一般的な出土品なんかだと、割合的には圧倒的に白磁で、染付入り色絵素地を探す方がなかなか難しいくらいです。

 外山の南川原山や大川内山のように、引き続き本焼き業者が上絵付け工程を兼業できるなら、さほど問題はありません。ですから、伝世する割合の高い高級品だと染付と色絵の併用のものも珍しくありません。たとえば、大川内山の製品が一番分かりやすいですね。あそこの技術は、祥瑞の影響を色濃く残しますから、原則的に色絵と染付の併用ですから。

 御用品だから特殊…、何て言われそうですが、現在初期鍋島なんて呼ばれているもんだけが、最初から御用品専用様式だったって誰が決めたんですかねぇ?そういう文書でもあるんでしょうか??わたしは知りませんが、それが分かる出土資料でもあるんでしょうか???おっと…、また脱線するといけないので、鍋島の話はまた後日ジックリってことで今回はやめときますね。とりあえず、実際には御用品として使われたとしても、今のところその証拠なんてないですよ。

 話を戻しますが、外山と違って、内山はそう簡単にはいかんのですよ。だって、本焼き業者と上絵付け業者が別ってことになったので。いちいちわけ分かんない下絵の入った素地を赤絵屋に持ってこられても困るでしょ。そんなことすればするほど、せっかく生産制度や製品を単純化して、効率的量産をしようとしてるのに逆効果ですよ。白磁なら、いろんな絵付けの製品に利用できるわけですから。

 ってことで、もうちょっとこのことについて話したいんですが、長くなりそうなので次回ということで。(村)

このページに関する
お問い合わせは
(ID:2782)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.