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有田の陶磁史(281)

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 前回は、思い付きで、さぞかし喜三右衛門さんは南京赤絵系古九谷の開発大変だったでしょうねって話をしてたら、1ミリも話が進みませんでした。まあ、もっともこの古九谷様式の話自体、延々と昨年の秋からやってるんですから、それ以来まったく進んでないと言えばそうなんですが…。じゃあ、これっていつまで続くのって聞かれても、自分でも分かりまへ~んとしか言いようがないのが困ったもんで。まあ、まだしばらくは続きそうですが。いや、まだまだかな?へたすると古九谷の話題だけで1年がかりとか…?怖すぎるので考えないことにします。

 しかし、書いてる本人ですら、もう何をどう話したかを忘れてるくらいですから、読んでる方は、完全にアウトじゃないですかね?一々読み返すのもメンドウですしね。そうですね。頭を整理するために、ここらへんで、ここまでの全体の流れを、軽く振り返っておくことにしましょうか。

 覚えてらっしゃるでしょうか?そもそも、このブログでは、岩谷川内山で製陶していた高原五郎七さんが、まず、例の“青磁”こと、1640年代の中頃に色絵の開発に成功して、藩主である鍋島勝茂さんに献上したのではってところから物語がStartしました。それが、現在鍋島報效会が所蔵する祥瑞手の「色絵山水竹鳥文輪花大皿」と、その手本とした景徳鎮の祥瑞大皿です。なんか、懐かしいですね。もう随分むかしむかしの話題だったような感じでしょ。とりあえず、この岩谷川内山発祥の古九谷の技術は、勝手に古染付・祥瑞系と呼んでいます。この技術では、色絵磁器は染付と色絵を併用します。また、色絵を入れる部分を染付にすればいいだけなので、染付製品も作られています。

 そして、それから程なくして、黒牟田山のミスターXさんも、山辺田窯跡で色絵磁器を開発しました。これを万暦赤絵系と呼んでいます。この技術の色絵素地は原則染付圏線を入れるだけの大皿で、文様はすべて色絵で施して完成させます。ですから技術自体が色絵専用で、いわゆる藍九谷と称される染付製品はありませんでした。当初の皿の高台内のハリは、陶器質のものを使うのも特徴です。

 ところが、古染付・祥瑞系の技術は、またたく間に楠木谷窯跡をはじめ有田の主要な窯場に伝わりました。ご多分に漏れず山辺田窯跡にも伝わり、その影響で、従来の山辺田窯跡の技術と新たに伝わった技術が混合した製品が作られるようになったのです。これは、まだ高台内二重染付圏線の時期です。ただし、この頃からハリは磁器質に変わります。また、外面胴部に染付文様を配すものや、高台内の銘を色絵ではなく、染付で入れるものも多くなっています。あるいは、高台の外側面に櫛目文をはじめとする文様を巡らす製品も見られるようになりますが、これも古染付・祥瑞系の影響です。ついでに、小皿なども多少見られるようになり、丸文などの祥瑞由来の文様を配した染付製品も見られるようになります。

 この古染付・祥瑞系の技術の元祖は五郎七さんですが、この方は途中でキリシタン宗門改があるとのうわさを聞いて脱走してしまいますので、普及したのは、正確には副田喜左衛門日清さんが復興した技術ですけどね。

 ここまでは、よろしいでしょうか。この後が喜三右衛門さんの登場となるんですが、それについてはまた次回。(村)

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