前回は、赤絵窯の構造の説明をしようと思ってて、それが遺跡ではじめて発見された赤絵町遺跡のことなどをお話ししてたら、結局、赤絵窯の構造まではたどり着けませんでした。本日は、その話をします。たぶん…。
前々回、有田の最初の頃の赤絵窯ってどんな構造だったんだろうかと、むかしむかし散々あれこれ頭を悩ませたって話をしました。なにしろ有田の場合は、ずっと同じところに町が所在する関係で、工房跡の地面上の遺構はほぼ残ることがないので、赤絵窯も地面の下の構造は分かっても、肝心の地上に築かれた窯本体はどんなもんだったのかサッパリ分かんないんですよ。景徳鎮と同じような炭窯とかいろいろ可能性を探ってみたんですが、結局赤絵町遺跡の調査の際には解明することができませんでした。
でも、その後平成13年(2001)に、またまた偶然に赤絵屋跡かも?ってことを思わせる色絵磁器ゴロゴロの出土が、上有田交番の建て替え工事の際にありました。現在は、幸平遺跡という名称にしていますが、でも、でも…、でも、その名のとおり所在が幸平地区で、上絵付け業者を集住させたってことになってる赤絵町じゃないんですよ。「???」ではあったんですが、でも伝えられているところによれば、赤絵町成立当時は赤絵屋は11軒あり、そのうち9軒が赤絵町にあったって話とか、上絵付け業者の創出にあたっては、幸平地区の一角に集住させたため、そのあたりを赤絵町として分割したって話とかですね。そんじゃ、赤絵町以外にあった2軒のうちの1軒かもってことですよね。もともと幸平地区を分割して赤絵町ができたんですしね。そう考えれば、話としては別におかしくはありません。
あっ、ついでに、また、ちょっと幸平遺跡発見時の裏話でもしときましょうか。こんなこと、発掘調査報告書とか、ちゃんとした活字では書けませんから、ここだけの話です。実は、遺跡らしきものが発見された時は、当然、工事はもうはじまってたんですよ。そこは別に周知の埋蔵文化財包蔵地じゃなかったので、事前の通知とかは必要ありません。でも、重機で地面をゴソゴソしたら、色絵磁器がゴロゴロ出てきたんですよ。
たしかに文化財保護法上では、遺跡と思われるものが発見された時は、すみやかに発見届ってのを出すことになっています。でも、実際には、バカ正直にそんなもん出す事業者なんていませんよ。それがたとえ、普段は違反者を取り締まる警察であっても…。
でも、色絵磁器が出てるのを、偶然見つけた第三者がいたんですよね。そんで、うちにご連絡いただきましたもんですから、当然、現地に急行します。この時は、赤絵町遺跡の時の経験がありますから、こりゃ、赤絵屋だわってことになって、さっそく佐賀県警とお話です。でも、警察だってお役所ですから、突然そんなこと言われても、小回りなんてききません。同じお役人ですから、そこんとこはよく存じております。工期は延びる、発掘費用はかかるって、そりゃ警察からしたらさんざんってか、お役所って年度途中にそういう話されても、補正予算って通常は年に4回しか組めませんから、その間は自動的に工期も遅れるわけですから、すぐには対処しにくいんですよ。でも、まさか警察が法律違反はできませんしね。一番困ったのは、担当の中間管理職の方でしょうね。察するところ、法律は破れない、でも、突然上にそんなこと言っても通用するかな??って感じかな…。
当時は、まだ文化財の地位は、今よりずっと低かったですしね。その後、いろいろとマスコミとかに叩かれたもんで、今では少なくとも公共工事とかは、遺跡にかかってないかピリピリしてますけど…。
そんで、警察はどうしたと思いますか…?その時は、どうするかまだ最終合意はできてなかったんですが、天下の警察たるもんが、そのまま工事を強行するって選択肢もなしってとこですかね。
そしたら、何と翌日の新聞の一面にデカデカと重要な遺跡発見の記事が出たわけですよ。もちろん、こちらはマスコミに何も言ってませんよ。もう、これってピーンッてきましたね。どんな遺跡が発見されたのかってことなんて、うちと警察くらいしか知らないわけですから。それに、そんな方法うちじゃ思い付きませんわ。普段から、そんな方法を使ってるからこその発想でしょうからね。なるほど、すごく重要で貴重なもんにしとかないと予算や工期がね…。いや、たぶんですよ。あえてそんなこと聞くのも野暮ですから。
かくして何とか発掘調査することにはなったんですが、それは有田の内山のど真ん中のことですから、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、内山の家って、人ひとり通れるかどうかってくらいで、隣の家とのスキマがほとんどないんですよ。そんなとこで、地面の下を深く掘って掘削した壁面が崩れでもしたら、隣の家もどうにかなっちゃいますよ。そのため、ものすごくジャマとか見栄えも最悪だったんですが、つーか、肝心の土層も見えなくなってしまうんですが、隣の家との境に鉄板を並べて、それを支えるためにぶっとい鉄骨を巡らして、外から見ると発掘現場じゃなくて、まるで土木工事してるようにしか見えないって状態で発掘することになったんです。
いや~、ということで何だか思い付きで長々と書いてしまったので、今日も赤絵窯の構造になりませんでした。大変失礼いたしました。次回こそは書きますので…、と、思います。(村)