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有田の陶磁史(283)

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 前回は、結局、喜三右衛門さんにたどり着きませんでした。今日こそは、喜三右衛門さんします。

 楠木谷窯跡や山辺田窯跡の例に見るように、最初に有田の広い範囲に広まった古九谷様式の技術は、岩谷川内山発の古染付・祥瑞系でした。ただし、この時、楠木谷窯跡ではこれがはじめての古九谷様式の技術でしたが、すでに山辺田窯跡では、ミスターXさんの万暦赤絵系の技術がちょい前には確立していました。

 そして、この後最後に広まった古九谷様式の技術が、喜三右衛門さんが開発した南京赤絵系の技術なわけです。これは楠木谷窯跡で開発された技術ですので、距離的に近い後の内山地区の窯場には、よりピュアに近い形で伝わりました。

 以前もお話ししたことがありますが、技術は概して近い窯場ほど、あるいは類似した窯場ほど、強い影響が及びます。この原則により、たとえば後の内山の中でも、東端の楠木谷窯跡から一番遠い、西端の岩谷川内山では、影響はより薄まります。もっとも岩谷川内山の場合は、古染付・祥瑞系の総本山ですから、その影響が色濃く残りますので、相対的に南京赤絵系の影響が薄まるのは、当然と言えば当然ですが。

 こういう例もあります。この岩谷川内山に最も近い、後の外山の窯場は外尾山です。ここには、1640年代後半から50年代前半頃には、外尾山窯跡や丸尾窯跡などが所在していました。こうした窯場では、他の後の外山の窯場と比べ、岩谷川内山色が強く表れます。まあ、岩谷川内山の劣化版とでも言いますか、いや、逆に岩谷川内山の製品は相当文様とかがくどいですから、その普通版なのかもしれませんけど。たとえば、点描打たせればこれでもかってくらい埋め尽くしますし、渦模様描かせれば、ほかでは2周くらいの渦渦のところを4周くらいは渦渦渦渦するのが岩谷川内山です。あっ、そう言えば、岩谷川内山の長吉谷窯跡の押し型文の青磁合子とたぶん同型のものが、外尾山窯跡で出土してましたね。

 ついでですので触れておきますが、後の外山の窯場の場合は、これも近場の法則どおり、基本的には山辺田窯跡の影響が強く表れます。ですから、古九谷様式の製品には古染付・祥瑞系の影響の大きい小皿などもなくはありませんが、基本は大皿などの大型製品が主体です。ただし、山辺田窯跡のオリジナルな技術が伝わっている窯場はありませんので、高台内二重圏線の製品はありません。

 ということで、本日も喜三右衛門さんの南京赤絵系に、具体的に切り込めませんでした。次回こそは、それをやりたいな~。(村)

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