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有田の陶磁史(360)

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   前回は、『源姓副田氏系圖』の一部を引用して、軽くその説明をしてるところでした。でも終わんなかったんで、本日はその続きからはじめます。

 高原五郎七(B)さんは、弟子の副田喜左衛門さんや善兵衛さんにも教えずに、コソコソっと“青磁”なるものを開発して、藩主の勝茂さんなんかに献上したりして御道具山を名乗ってたんですが、切支丹の取り締まりがあるって聞いて、“青磁”なるものの道具類とか一切を谷に投げ捨てて逃げたんでした。

 本当に、弟子くらいには教えてあげればいいのにね。器の小さいやつ!でも、その苦境にもめげず、喜左衛門さんと善兵衛さんは立ち上がったのです。五郎七(B)さんの捨てたもんを探しに行ったんですね。

 前回お話ししましたが、猿川なんてそんな水深が深い川じゃないですから。いや、川なんて言えば、1級河川とか想像されたら困るんですが、そんなご大層なもんじゃありません。溝、溝。有田をご存じの方なら想像も付くかと思いますが、有田を流れる有田川って伊万里湾のところで海に注ぐわけですが、内山地区あたりはその水源に当たるところです。各地のほぼ溝みたいな小川が集まって下流で有田川になってるわけで、猿川もその一つです。せいぜい川幅数メートルとか、そんなもんです。だから、川を堰き止めないといけない唐臼なんかが造りやすいのでいっぱいあったわけです。

 流紋岩の岩山の間を流れる川ですから、崖は高めでも、肝心の川の水は川底近くを流れるだけで、平時にはさして水量は多くありません。それなんで、道具類を捨てたらすっかり流される…みたいなことはなくて、別に場所さえ分かれば、探しに行けたわけですよ。

 そして、ここからが重要です。ちなみに原文では、「日清善兵衛ヲ引供シ青磁素焼物等拾集水干シテ相考」となっています。つまり、“青磁”なるものの素焼きなんかを拾い集めて水干しして考えたってことです。

 ちょっと読み飛ばしてしまいそうですが、よ~く、よ~く文章の意味をイメージしてみてください。“青磁”をふつーの青磁だと思う限り、絶対に意味が通じませんから…。

 だって、青磁って素焼きした素地に青磁釉を掛けて本焼きすると完成品になるわけでよ。だったら、青磁の素地は特殊ってわけじゃないので、素焼きの状態では青磁じゃないわけですよ。それに、素焼きって、成形した生地を低温焼成したもんですから、水になんて浸けたら、水干ししようにも速効溶けてしまいますよ。しかも、そんな素焼きを見て、喜左衛門さんや善兵衛さんに何を考えろっていうんでしょうか?素焼きは、上から見ても下から見ても、斜めから見ても、いくら穴の空くほど見ても素焼きですから。まあ、それ以前に、前にご説明したかと思いますが、素焼きは例の喜三右衛門さんとこの技術で完成するもんですから、五郎七(B)さん時代には、まだありまへんがな。つまり、焼成は青磁釉を掛けて焼く時の一回だけですから、「素焼物」ってもの自体存在しないわけですよ。

 ねっ、意味通じないでしょ。じゃー、このブログでご説明したとおり、五郎七(B)さんの“青磁”なるものって色絵のことじゃないってことで考えてみると、いかがでしょうか。色絵素地なんかを拾い集めて水干しして考えたってことになるでしょ。色絵素地は、素焼きじゃなくて本焼きしているものですから水になんて溶けませんからね。それに、ちまたで作ってる初期伊万里様式の製品とは、スタイルも胎土の質も違いますから。そりゃ、喜左衛門さんや善兵衛は唸るほど考えなきゃなんないでしょ。上絵の具なんかのことも考える必要がありますしね。

 ということで、今日も文書の一節が進んだだけで終わりませんでしたが、まだ続きそうなので、ここら辺で止めときます。(村)

 

 

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