前回は、国がだんだん豊かになってきた昭和30年代に、古陶磁に関心を寄せる余力も生まれ、民間を含めた研究者が多くなり、切磋琢磨することによって研究が進み、製品のスタイル差を生じる要因が生産地の違いではなく、時期差ではないかと考えられるようになったって話をしてました。それにより、生産地別の“古九谷”、“柿右衛門”、“古伊万里”、“鍋島”から、単純に製品のスタイル分類である“古九谷様式”、“柿右衛門様式”、“古伊万里様式”、“鍋島様式”に変化し、“様式”の前に付いた名称は、何だか意味ありげだけど、まったく意味のないものになったということでした。そして、その過程で民窯製品である“古伊万里”から“初期伊万里”が分離しましたが、様式分類になったことで、“初期伊万里”も“初期伊万里様式”になったということです。
前振りが長くなりましたが、この昭和30年代に様式分類となった各種類の定義について、簡単にご説明しときたいと思います。なぜこんなムダ話ばかりしてるブログで、肝心の様式の定義なんかは簡単に済ませるのかいって思われるかもしれませんが、それには深い訳があります。それは、詳しくやっても意味がないからです。というか、それでなくても穴だらけで、それぞれの様式に割り振れないものが多いのに、厳密に定義すればするほど分類できないものだらけになってしまうのです。おいおいお分かりいただけるかと思いますが、しょせんはその程度のものなのです。
まず、“初期伊万里様式”は、器壁が厚めで表面はやや灰色を帯びているのが一般的です。くれぐれも言っときますが、例外なんていくらでもありますよ。分かりやすい特徴として、皿の高台径について、古美術業界などではよく“3分の1高台”、つまり高台径が口径の3分の1などと言われますが、高台径が小さいのが特徴です。皿の外側面などは無文が基本で、高台内に圏線や銘なども入りません。くり返し言いますが、例外などいくらもあります。ねっ、例外などいくらもあるんだから、厳密に定義しても意味ないでしょ。ちなみに、色絵の技術のない朝鮮半島の技術ではじまってますので、“初期伊万里様式”に色絵磁器はありません。でも、実際には、“初期伊万里様式”のスタイルを持つ製品に色絵を施したものはありますよ。だんだん訳分からなくなってきたでしょ。でも、それが現実です。
次に“古九谷様式”。器壁は厚めのものと薄めのものが混在します。表面は灰色を帯びるものと乳白色に近いものが混在します。皿の高台径は一気に大きくなりますが、小さいものも、中くらいのものも混在します。皿の外側面などは文様や圏線を配すのが基本で、高台内に圏線や銘を施すのも基本となります。この様式から色絵がはじまります。
次に“柿右衛門様式”。器壁は薄く、表面は白磁の場合は乳白色、染付製品の場合も乳白色に近いですが、白磁と比べるといくらか青みがあります。皿の高台径は大きく、外面の文様配置などの基本は古九谷様式と共通します。施文は、構図に余白をたっぷり設け、非対称の構図とするのが基本です。
続いて“古伊万里様式”。器壁は厚めのものと薄めのものが混在します。表面は灰色を帯びるものと白色に近いものが混在します。皿の高台径もバラバラです。外面の文様配置などの基本は、古九谷様式や柿右衛門様式と共通します。施文の余白の分量はさまざまですが、対称的な構図とするのが基本です。
最後に“鍋島様式”。器壁は厚からず薄からずというとこでしょうか。表面は白いですが、若干青みがあります。皿の高台径は小さくはありませんが、民窯の大きな製品と比べると少し小さくなります。木盃形と呼ばれる高台が高く、やや深めの形が特徴的です。外側面には、鍋島様式に独特な文様が描かれます。高い高台の外側面にも塗り潰し文様が配されます。しかし、高台の中には、圏線や銘は配されません。それから、色絵製品の場合、葉など文様の縁取りをあらかじめ染付で入れておき、上絵の濃みを入れて文様を完成させます。ちなみに、民窯製品では、基本的にこうしたことは行われません。
いかがでしょうか。ごく大ざっぱに話すとこんなとこです。ただし、しつこいですが、例外だらけです。(村)
Photo1 初期伊万里様式
Photo2 古九谷様式
Photo3 柿右衛門様式
Photo4 古伊万里様式
Photo5 鍋島様式