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有田の陶磁史(286)

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 前回は、系統別の古九谷様式の技術・技法の違いについて考えてみました。そして、最後に南京赤絵系の技術が有田全体に拡散したため、相対的にはその影響が大きく引き継がれ、いわば有田の後継技術となったと考えられます。本日は、たとえばこの技術は、一番実態のよく分かっている山辺田窯跡では、どのような形で浸透していくのかって話をしときたいと思います。

 何度も話してますが、山辺田窯跡の古九谷様式としては、最初に高台内二重圏線の大皿からはじまります。山辺田窯跡の色絵素地陶片が、古九谷様式の伝世品と一致ないしは類似すると考えられはじめたのも、主にこうした種類の製品からです。つまり、器形もですが、染付で配される圏線や裏文様などが一致するので分かりやすいからです。

 前に話しましたが、古染付・祥瑞系の影響は、すでにこうした高台内二重圏線の時期に現れます。たとえば、一般的に祥瑞手に分類される丸文を配した大皿なんかは、分かりやすい例ですね。そのほか、幾何文手とも称される内面を地文で埋めた方形や菱形の枠を何重か重ねたやつ(たとえば:https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=38466939&data_id=6)とか、周囲を窓絵とかにして地文で埋めるやつとかもそうです。こうしたタイプは、ちゃんとルールに則って高台内圏線を入れて、中には陶器質のハリ支えをするものもありますが、結構圏線のルールは緩いものが多くて、一重圏線や圏線なしのものまであります。前に言いましたが、山辺田窯跡の場合の二重圏線は、高台内直下にも一重圏線を巡らすのが、本来のルールですが、高台内直下の圏線がなかったり、逆に二重になってたりするものもあります。また、高台の外側面に櫛目とか文様を描くものも珍しくありません。また、この段階までの高台銘には、篆書体のゴチャゴチャした読めない銘があるのも特徴です。

 ところが、その後高台内圏線のルールがさらにいい加減になり、一重のものや白磁に変わっていきます。ここからが、南京赤絵系の影響も加わった時期です。ただ、単純に南京赤絵系の製品に変わったってのなら簡単でいいんですが、世の中そう甘くはありません。「万暦赤絵系+古染付・祥瑞系+南京赤絵系」みたいな複雑なものになってくわけです。要素の混じり方もいろいろです。それに、オリジナルな技術を持つ山辺田窯跡みたいな窯場では、他の技術を万暦赤絵系の技術の中に融合させて別のスタイルへと昇華させます。たとえば、先ほどお話した幾何文手なんかもそうですね。おそらく、山辺田窯跡以外にあんなスタイルはありません。

 ということで、本日は南京赤絵系の影響の具体的な話までたどり着けませんでしたが、まだ長くなりますので、次回ということで。(村)

 

山辺田窯跡製の祥瑞手大皿

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