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有田の陶磁史(363)

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   前回は、あまり進みはしませんでしたが、たぶん御道具山が1645~47年の間くらいにできて、そこの御道具山役という支店長に、手明鑓という武士階級に特進の上で、副田喜左衛門さんが抜擢され、細工人頭取という工場長には、喜左衛門さんと義兄弟を誓った善兵衛さんが就任したって話をしてました。続きです。

 ということで、まずは押さえておいていただきたいんですが、これまでゴチャゴチャとお話ししてきたことを総合すると、古九谷様式のはじまりイコール、色絵磁器のはじまり、そして…、ほぼイコール御道具山のはじまりってことになります。つまり、御用品のことを“鍋島”と通称しますが、岩谷川内御道具山時代の“鍋島”は“鍋島様式”ではなく、スタイル的には“古九谷様式”だったってことです。ややこしいですね。

 これがちょっとややこしく感じるのは、多くの方が“御用品”=“鍋島”=“鍋島様式”ってイメージを持っているからです。“鍋島様式”のことを省略して、“鍋島”って呼んだりするので、ますますややこしくなります。でも、本当は“御用品”=“鍋島”というのが本質的な定義であって、製品の様式は一義的な要件ではありません。つまり、御用品のことを“鍋島”と通称しているんですから、別に鍋島様式でなくても、御用品として使われれば“鍋島”ってことになるわけです。なので、岩谷川内御道具山時代のように製品のスタイルとしては古九谷様式であっても、鍋島様式じゃないけど、“鍋島”ってことが起こるわけです。

 たとえば、じゃあ御用品がどうやって決められるのか考えれば、もっと分かりやすいかもしれませんね。まあ、実際にはこんなに単純じゃないでしょうが、ざっくりとした話ってことで…。ようするに、もちろん本店にもお伺いは立てたでしょうが、支店長の喜左衛門さんが、贈答用として“採用してよろしっ!!”って決裁したものが御用品ってことです。だから、製品の様式は二の次です。別に鍋島様式じゃなくったって、支店長が決裁すれば“鍋島”ってことですから。

 ところが、先にお話ししたように、多くの方々は“御用品”=“鍋島”=“鍋島様式”ってイメージを持たれているもんですから、さらにややこしいことが起こります。「これは鍋島様式だから御用品だ。」みたいな記述を見たりしませんか?でも、これって御用品であることの証明として、鍋島様式であることを根拠にしてるってことですから、実は本末転倒ですよね。鍋島様式だって、ちゃんと支店長が採用の決裁したから、御用品って意味での、“鍋島”になるわけですよ。

 いや、別に鍋島様式の製品が、御用品じゃなかったなんて、妄想を言ってるわけじゃないですよ。鍋島様式は、御道具山が伊万里の大川内山に移った後、遅くとも17世紀末頃までには御用品の専用様式として採用されてますので、それ以後の製品でしたら、“鍋島”=“鍋島様式”と捉えても形の上ではほぼ矛盾はありません。でも、少なくとも、鍋島様式が成立当初から御用品の専用様式であったとか、御用品専用様式を目指して開発されたとか、鍋島様式ということで色眼鏡で見たらだめかもってことです。お疑いならとことん調べてみたらいいですが、そんな証拠はどこにもありませんから。まあ、探せても、だいたい誰々さんがそう言ってるのたぐいでしょうね。

 まとめると、現在“鍋島”って言われているものには、製品様式上の“鍋島”と生産制度上の“鍋島”という二つがあるってことですが、長くなりますので、詳しくはまた次回お話しすることにします。(村)

 

 

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