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有田の陶磁史(290)

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 前回は古九谷様式の青手には、メチャクチャ大ざっぱに大別すると、外面に雲気文を描くもの(Aタイプ)と唐草文をビッシリ描くもの(Bタイプ)に分けられ、さらにBタイプは一般的なB-1タイプと渦状というか蕨状文というか、唐草が簡略化されてそういうのに変化してしまっているB-2タイプに分けられるって話をしてました。そして、B-2タイプの中皿には、高台内に二重方形枠に「承応貮歳」の銘を施したものがあるため、一般常識に照らし合わせれば、Aタイプはもっと古いことになりますね。本当でしょうか?ってとこで終わってました。この話の続きです。

 「承応貮歳」銘って、どこかで耳にしたことがありませんか。そうです。このブログでも取り上げましたが、楠木谷窯跡でいくつか出土しています。ただし、楠木谷窯跡の場合は、二重方形枠は付かずに、文字だけを2行に染付で配しています。一方、青手中皿の方は、二重方形枠の中に文字を配しており、しかも色絵で施すって違いがあります。

 さて、この二重方形枠の「承応貮歳」銘の製品ですが、これまでにもう一点知られています。昭和30年代の活字(『陶説』67 1658ほか)で紹介されているものですが、その後はまったく消息不明ですので、もう国内にはないのかもしれません。どういうものかといえば、口径1尺5寸5分ってなってますので、約47cmですから、ずいぶん大きな皿ですね。まあ、この口径だけで、どこの窯の製品か想像が付くかと思いますけど。それで、内面には見込みに二人の唐人物文が描かれています。そして折った広めの縁は、何と幾何文手になっています。あれっ?幾何文手って前回の一般的な分類では、前期じゃなかったですか?

 ところが、もっと複雑なことに、幾何文手なのに、実は、素地は白磁なんですよね。高台径も小さめですし…。青手みたいに高台内は全部色絵で塗り潰してて、胴部にはでっかい梅樹文が2方向に描かれています。

 ついでに、前回東南アジアなんかに輸出されているB-2タイプの大皿の話をしましたが、その高台内に独特な描き方をした二重方形枠の中に「福」を配したものがあります。実は、これと同じ銘は、白磁を素地とする五彩手皿の中にあります(Photo)。あれっ?Bタイプの唐草の青手は後期のはずだけど、なのに、白磁を素地とする五彩手って中期じゃなかった??もうグチャグチャですね。

 少し整理しときましょうか。とりあえず、こうしたB-2タイプの色絵磁器は、大皿、中皿ともに、山辺田遺跡で類例が出土しています。だいたい予想どおりだったでしょ。もっとも、中皿は銘の部分は残っていませんが、口径や唐草の描き方などもいっしょです。

 それで、銘の年代である承応2年(1653)を基準とすると、少なくともこの頃までは、前期とされる製品の要素が残っていたことになります。しかし、一方で中期とされる製品もこの頃にはあったことになります。まあ、前期と中期に重なりがあったとしても、別に不思議ではないですけどね。

 ところが、一つだけここで展開してきた妄想説では、矛盾することがあります。というのは、B-2はB-1タイプの崩れたないしは、簡略化されたタイプって言いました。お分かりですか?B-1タイプは一般的には後期に位置付けられています。そうすると、B-1を簡略化してB-2が誕生するってのは、どう考えても矛盾することになります。だって、B-2タイプは遅くとも中期ってことですからね。いかがですか。ここの妄想説も大したことないなって思ったでしょ。

 そうかもしれませんが、この取るに足らない妄想説に、次回もう少しお付き合いくださいね。(村)

B-2タイプの青手と白磁素地の五彩手に共通する「福」銘

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