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有田の陶磁史(291)

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 前回は、このブログの妄想説において、Bタイプとした外面唐草文の種類において、B-1の簡略形がB-2のはずなのに、一般的な編年観ではB-1は後期なので、中期の製品と類似するB-2とは逆になるので矛盾するじゃんって話でした。そうですね。たしかに矛盾してますね。でも、これでおしまい、白旗って思います?

 くやしいですが、バンザイって言いたいところですが、Bタイプって本当に全部後期なのって一応疑ってみたりして…。ムダな抵抗?まあいいです。一応疑わせてください。

 各種図録でもいいので確認していただければ一目瞭然ですが、Bタイプって唐草の描き方や素地の違いなどから、メチャクチャ種類があります。まあ、ちょっと大風呂敷ですが、最低10数種類はあるでしょうね。その中に、今回のPhotoのように、緑や黄の釉下に黒絵の具で文様を描いて濃みたようなタイプがあります。Photoは必ずしも典型例ではないんですが、ネット上ではこのタイプの写真を探せませんでしたので、拙著より掲示しておきます。毎回長々と説明するのはめんどっこいので、仮にこれをここではB-3タイプとしておきます。ちなみに、一番典型的な例は、石川県立美術館が所蔵されている「青手四葉座文輪花鉢」って名付けられているもんあたりです。図録だと、昭和48年に石川県美術館が発行した『古九谷名品展図録』に掲載されています。もしお持ちの方は、ぜひご確認ください。めちゃ重要ですから。

 というのは、いろいろあるんですが、まずは、ちょっとしたおもしろいことから。この皿の内面は、見込みの中央部に方形枠に剣花菱文を配して、その外に如意頭みたいな文様を四方に巡らして、そのまた外の見込み周辺には、円形の帯を巡らして、その中に丸の文様を描き並べるというか、白抜きして…、この場合、青手だから上に緑釉が乗ってるので、実際には白ではなく緑の丸になってますが、そして口縁部には草花文をびっしりと配しています。まさにこのクドさは、出土陶片見慣れてると、岩谷川内山って思ってしまうのですが、そうすると、おもしろいもんが思い浮かびます。

 それは、九州陶磁文化館でお持ちの「色絵唐花文変形皿」って命銘されている小皿です。ちなみにネット上では、以下(https://saga-museum.jp/ceramic/exhibition/collection/hakuu/000606.html)などにあります。一般的に、松ケ谷手って呼ばれる、外面無文のやつですね。これって、やはり見込みに剣花菱文を配して、周辺に丸文を並べています。こんなの、そうそうどこにでもある文様じゃないので、無関係とも思えないんですけどね。ベタ塗りですし。ちなみに、現在は九州陶磁文化館では、岩谷川内藩窯製品とお考えのようです。それと関係あるかどうか知りませんが、実はこの剣花菱文って龍造寺家が使ってた家紋で、一族である鍋島家も元亀元年(1570)の今山の戦い以後杏葉文にする前にはこれを定紋として使ってたんですよ。以後も、替紋として使ってますし。藩窯との絡みから考えると、ちょっと意味深な文様でしょ。あれっ、それにしても、古染付・祥瑞系の技術と青手が、ちょっと近づいてきたような予感…。

 ということで、まだまだ「青手四葉座文輪花鉢」で引っ張らないといけないので、とりあえず本日はここまでにしときます。(村)

 

青手B-3タイプ(小木一良・村上伸之『[伊万里]誕生と展開』創樹社美術出版 1998より転載)

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