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有田の陶磁史(399)

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   前回は、頭から尻尾まで全部脱線で、佐賀藩の貧乏話をしていました。そもそも、前々回に、現在は藩窯って用語が使われ、さも藩が登り窯を所有し管理・運営していたように錯覚されてますが、ド貧乏な佐賀藩が、登り窯に関わる人を全部雇うなんて、そんなアホな。あくまでも雇ってたのは、御用品生産に関わる人だけだってばー。ってところから、佐賀藩の貧乏話がはじまったんでした。

 そんで、初代皿屋代官に任命された山本神右衛門重澄さんが、江戸の藩主から任命のお手紙が届いた時に、藩の借金払いと新たな借金のため長崎出張中で、江戸前期からすでに自転車操業ってありさまで、そりゃ代官に任命されたヤマモトさんは、どうやったら、窯業から運上銀を絞り取れるかって、真剣に考えるわけだってことです。

 「皿屋の儀になる様さへ能く御座候はば、以後迄、御運上召し上げらるべく候。」

 これは、慶安元年(1648)に初代皿屋代官として、ヤマモトさんがはじめて運上銀を集めた際の言葉ですが、まるで例の神尾春央の言ったという「百姓と胡麻の油は絞れば絞るほど出るものなり。」みたいですよね。まあ、ヤマモトさんの場合は、それほどアコギじゃなくて、相当なキレモノだしアイディアマンだってことですけどね。

 ヤマモトさんが横目として最初にらつ腕を振るったのが寛永14年(1637)の窯場の整理・統合ですが、その頃の運上銀が銀2貫100目で、その後10年で38倍にしてるんですからスゴいですよ。まあ、銀2貫100目から38倍なんて言ったって、まるでピンとこないでしょうけどね。じゃあ、よく江戸前期の換算の相場に使われる、仮に1両10万円で計算すると、寛永14年の頃は420万円ってことになります。当然、こんくらいじゃ、藩は窯業を藩の産業化しようなんて考えまへんわ。でも、あれこれ知恵を絞って、たとえば正保元年(1644)には7,000万円にしちゃったわけですから、藩もアララってとこです。でも、1647年に、まだ山林の方が重要なんで、陶工追放しろって言ってるんですけどね。そんで、結局、ヤマモトさん、最終的にどんくらい運上銀集めたと思います??何と、1億5,537万6,000円、ついに              1億円軽く超えたってことです。そりゃ、藩もマジになりまっせ。

 いかん。また話が脱線。もとい。つーことで、しつこいですが、藩窯って言葉を使うから妄想を抱くわけで、御道具山が正解で、しかも、これって副田さんが支店長を務めた御道具山支店ってお役所のこと。そのお役所で、民窯の焼成室の一部を入手して、準公務員として、職人さんたち雇って御用品を作らせていたってこと。だから、藩が持ってない焼成室の人のことなんて、民業ですから、直接は藩の管轄外。おまえら、せいぜい励んで運上銀納めてねってとこです。

 そんで、寛文年間には御道具山支店は、まるごと高級品焼く山に大変身した南川原山にお引っ越し。だって、藩が持ってる生産能力だけじゃとても御用品全部は賄えないので、その方がアウトソーシングしやすいでしょ。

 そうしてる頃、大川内山で、珍しい、独特なスタイルのもんが開発されて焼かれてたんですよ。もちろん、それも御用品の一種として調達してたとは思いますけど…。

 そんで、誰が考えたかしらないけど、いいこと思い付いたんですね。たとえば、南川原山の高級品は、内山も基本的に技術の源流は南京赤絵系古九谷でいっしょですから、マネするなって言ったってムリ。言ってみれば、スタイル差じゃなくて、質差ってことですから。でも、大川内山の場合は、古染付・祥瑞系がベースですから、切り分けが可能ってことです。じゃー、民窯でマネするなってことにすれば、タダで付加価値付けることができるわけですよ。くどいですが、佐賀藩貧乏ですから、銭かけずに、付加価値を付けるのは大歓迎ってことでしょ。

 そうすれば、生産量だけ確保できれば、必然的にその大川内山のやつが、御用品の専用様式になっちゃうわけですよ。じゃー、御道具山支店も調達地となる大川内山に移さなきゃってことで、延宝年間に南川原山から移されたってことです。

 そうすると、今まで南川原山で使ってた施設が必要なくなります。そしたら、世の中ウハウハ気味な時期に、独り不景気で一時やきもの止めてた酒井田さんちが、もう一度やりたいので、施設の払い下げしてくんないかな~って願い出てきたので、おまえさんちはこれまで随分御用品の調達でも貢献してくれたのでくれてやるわってことで、施設一式に金一封まで付けてくれたわけです。めでたし、めでたし。

 まあ、御道具山の制度の変遷の概略を記すと、こんなところかな。以後は、大川内山を拠点に、それぞれの時期に、有田から優秀な陶工を雇って、窯を運営…って書くとまた誤解する方がいますが、登り窯じゃないですよ。登り窯の2、3室を含む工房全体の運営のことです。それを運営したってことです。

 ということで、だいたい御用品の生産制度についての話はできたかなってことで、本年はこれで最後になります。皆さま、よい新年をお迎えください。(村)

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