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有田の陶磁史(294)

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 前回まで、石川県立美術館所蔵の「青手四葉座文輪花鉢」など、仮にここではB-3タイプとした種類は、青手の中でも最も古いタイプで、古染付・祥瑞系の技術をベースとして、1640年代末前後に誕生したのではって話をしてました。個人的には、そうじゃないかなって思っているんですが、まあ、あくまでも個人の妄想ですから、当然、信じる信じないは自由です。

 それで、今回からは、仮にA、Bタイプに分けた青手が、どこの窯で作られたのかって話をしようかなって思います。少なくとも大皿類は何でもかんでも山辺田窯跡みたいに思われているような気もしますが、残念ながらこれが違うんだな~。そこら辺の事情を知ってる人自体があんまりいないので、情報発信自体が限定的で、なかなか多くの方が知るってことが難しいかもしれませんね。

 それでは、まず前提になるのが、伝世する青手の多くは大皿で、中皿はたまにありますが、小皿などは極めて少ないってことです。もちろん、稀には型打ち成形や押し型成形の小皿に青手のものもあります。でも、こうしたものは、どこか通常の大皿の青手のルールを満たしていないのが一般的です。押し型陽刻文を完全に無視して、塗り潰しているようなもんもありますしね。なので、まあ、本来うちの技法じゃないけど、ちょっとやってみるかって、気まぐれレベルじゃないでしょうかね。ただ、大皿を生産した窯の小皿は、例外ですけどね。でも、これだって、数は微々たるもんですから。

 ということで、青手の場合は、必然的に主体的な生産窯の候補としては白磁大皿を生産していることが必須になります。白磁大皿を生産している窯については、以前も少し触れましたが、必ずしも有田の全体の窯場で作られているわけじゃなくて、窯業地の西側に極端に偏っているって傾向があります。もちろん、その他の地域の窯場には、1点も白磁大皿はないのかってイチャモン付けられても困ります。でも、現状ではほぼないですね。

 具体的には、後の内山だと西端の岩谷川内山の猿川窯跡にはあります。それ以外は、すべて後の外山です。南の猿川窯跡に近い方から北方面に、外尾山の外尾山窯跡や丸尾窯跡、黒牟田山の山辺田窯跡や多々良の元窯跡、広瀬山の広瀬向窯跡あたりです。有田にはこの時期の窯跡はいっぱいありますが、意外に少ないでしょ。まず、このこと自体があまり知られてませんから。

 ということは、大半の青手はこれらのどこかの窯跡の製品ってことになるわけです。でも、実際に色絵を付けたもんの出土は少ないはずなので、そんなこと分からんでしょって言われても困ります。たしかに登り窯だと出土品は白磁の素地がほとんどですが、素地となる大皿自体がこのあたりの窯にしかないので、色絵片は出土してなくても、その他の考えられる選択肢がないんですよ。逆に、合理的な捉え方があったら、教えてください。

 ということで、本日は具体的な内容にまで入れませんでしたが、ここまでにしときます。(村)

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