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有田の陶磁史(295)

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 前回は、古九谷様式の伝世する青手製品は多くは大皿で、小皿などは微々たるもんだって話をしました。そして、色絵素地となる白磁大皿は、当時の有田の全域の窯場で作られていたわけじゃなくて、窯業地の西側に極端に偏ってるってことでした。もう一度、その窯場を記しておくと、後の内山では猿川窯跡のみ、そして残りは全部後の外山の窯場で、外尾山の外尾山窯跡や丸尾窯跡、黒牟田山の山辺田窯跡や多々良の元窯跡、広瀬山の広瀬向窯跡あたりになります。

 さて、本日からは少し具体的に触れてていこうかと思いますが、まずは手はじめに、出土資料が充実しているので分かりやすい、山辺田窯跡についてお話しすることにします。山辺田窯跡関連の遺跡としては、登り窯跡である山辺田窯跡とその工房跡である山辺田遺跡があります。山辺田窯跡は、本焼き用の登り窯跡ですので、当然、色絵素地はたくさん出土しますが、色絵を付けたものは、たしか10点程度でしたか。これでも、ほかの窯跡と比べると、かなり多い方です。一方、工房跡である山辺田遺跡の方は、素地もたくさん出土しますが、色絵を付けたものも大小合わせれば1,000点以上出土しています。

 ちなみに、以前石川県の方で、本焼き用の登り窯である窯跡で色絵片が出土するのは変だ。有田の研究者は、登り窯で色絵は焼かれていないのも知らない無知ぞろいで、窯跡から出土は、誰かがよそから持ってきてわざと置いた悪意のある行為だって吹聴されてましたね。それ聞いて、石川の方々は、そりゃそうだって思うんですかね?ご苦労さまです。でも、有田の窯については有田の方で考えますので、ご心配いただかなくてもだいじょうぶですよ。どうぞ、石川産の色絵の方に、注力してください。お断りしておきますが、もちろん、登り窯は上絵付け用の窯じゃないことは、重々承知しておりますので、あしからず。

 ちなみに、少なくとも有田の登り窯跡では、山辺田窯跡に限らず、ほかでも色絵磁器片が出土することがあります。もちろん、数は微々たるもんですけどね。じゃあ、これも悪意のあるばらまきなんでしょうか?たとえば、外尾山窯跡では17世紀末頃の色絵磁器片が出土していますが、こんなもん悪意を持ってばらまく意味があります??同様な時期の色絵磁器片は、応法山の窯の谷窯跡や弥源次窯跡でも出土してますけど、こんな下級品生産窯に色絵ばらまく悪意って、いったいどんなもんだか想像も付かないんですけどね??

あっ!、でもそんなことより、もっとすごいことを思い出しちゃいました。そう言えば、昭和40年代の九谷古窯跡の発掘調査の際に、物原から色絵磁器片出土してましたよね。そっちは色絵磁器を生産した証拠だそうですが、もう、悪意のあるばらまきはやめてくださいよ。なんてね…。まあ、登り窯で色絵は焼いてなくても、工房の近くで焼いてるわけですから、何かの機会に登り窯の場所に色絵磁器を持っていくことくらいあるでしょ。特に山辺田窯跡の場合は、工房が本当にすぐ近く、登り窯のある丘陵に接する平地の部分にありますからね。というか、窯によっては、一番下の胴木間は工房のある平地に接してますからね。

 というムダ話をしてたら、肝心の本論に入れませんでした。でも、どうせまだ長くなるので、今回はここまでにしときます。(村)

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