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有田の陶磁史(405)

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   前回は、いわば磁器生産の工業団地である内山地区を海外輸出の拠点とすべく、域内の窯業をスッキリさせようと画策をはじめたって話をしてました。1659年からは、いよいよヨーロッパ向け輸出がはじまり、大量輸出時代を迎えるわけですが、その時になって慌ててバタバタと準備を進めたんでは間に合わないですからね。準備万端で、大量受注をこなせる体制を整えておかないといけなかったわけです。もちろん、時の皿屋代官は山本神右衛門重澄さんですから、当然、近々ヨーロッパ輸出がはじまることくらいは知ってたはずですよ。直接、裏でゴソゴソやってた張本人かもしれませんしね。つーか、きっとそうだと思いますよ。商人とかを動かして…。

 そうすると、当時のヨーロッパ向けだと、ターゲット層が王侯貴族あたりってことになりますので、すでに輸出がはじまっていた東南アジア向けの製品よりも、ワンランクもツーランクも上手の製品の量産が必要になってくるわけです。つまり、高級品ってことですから、生産のベースとなる技術は、初期伊万里様式じゃなくて、だいぶ生産が普及してきた古九谷様式ってことになります。まあ、ここまでは、やろうと思えば、すでに体制は整っています。

 ただし、かと言って、いくら高級品つっても、丁寧にトロトロ、チマチマ生産されたんじゃ、数がこなせませんからね。だったら、どーすんべーってことですが、たくさんの窯で同じような質のものを同時に生産できるようにすれば万事解決。手間ヒマかけて作る最高級品じゃなく、高級量産品ってことです。

 ただ、当時の生産者には、もちろん伝統的な初期伊万里様式しか作らねーって頑固な人はいましたが、古九谷様式と両方を作ってる人とか、古九谷様式と初期伊万里様式の技術が混じり合ったような製品を作ってる人とか、まるで千差万別、多種多様、種々雑多、十人十色って状態で、およそ同じものを大量受注するなんてことは不可能な状態だったわけです。

 外山の場合は、各山がそれなりに点々と離れていて、それぞれの山の窯場は一つかせいぜい二つくらいしかないので、同じものを大量に受注しようと思えば、複数の山に分散させる必要があるわけです。しかも、この頃は、まだ山による製品ランクの差はないんですが、現実的には、古九谷様式が普及したことで、一つの山の中でもいろんなもんを作る業者が混在して、結果として、虫喰い的にあっちゃこっちゃに発注する必要があるわけです。メチャ効率ワロシ。

 ところが、幸いにも内山のあたりは、山はくっついているし、地形的に管理はメチャ簡単だし、こんな好条件のところはないわけです。しかも、重要なのは、ヨーロッパの王侯貴族が欲しがるもの、それはこれまで入手してきた景徳鎮磁器みたいに、白くて薄くてってやつで、それって、まさに楠木谷窯跡ではじまった、酒井田喜三右衛門さんちの南京赤絵系の技術がピッタシってわけです。だから、もちろん楠木谷窯跡の直系の技術で作れればそれが一番いいわけですが、まあ、トロトロ、チマチマになってしまいますので、あまり現実的ではない。ところが、内山地区は、年木山と近い、つーか年木山自体が内山の端っこにある関係で、もともと楠木谷窯跡の技術の影響が相当強い地域なわけです。だったら、内山の中から、楠木谷窯跡に近い技術で生産してる人だけピックアップできれば、いけるじゃんってことになるでしょ。

 それで再編ってことになるわけですが、本日は大変申し訳ありません、完全に前回の話を補足したみたいな内容で、まったく前には進みませんでした。まあ、書きはじめると、書き忘れたいろんなことを思い出すもんでご容赦ください。つーことで、次回こそは固い決意で前に進みますね。(村)

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