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有田の陶磁史(220)

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 前回は、もともとの様式分類は、“初期伊万里様式” → “古九谷様式” → “柿右衛門様式” → “古伊万里様式”の順に一列に変化していくというものだったという話をしてました。そして、そう考えられた、あるいはそう変遷するように見えた最大の理由は、伝世品中心の研究、つまり、高級品中心の研究だったからだということに触れました。通常、高級品ほど付加価値の高い最新の技術・技法がより多く使われています。つまり、各様式の典型的なものに近いということです。よって、各様式の典型的なものどうしを比べるわけですから、スカッと順々に変化していくように見えるわけです。しかし、中には典型的でないものも伝世しています。たとえば、“古九谷様式”っぽい要素が4で、“柿右衛門様式”っぽい要素が6だったとすれば、“柿右衛門様式”の方に押し込んでしまうわけです。こうしたものは、伝世品の中では少数派ですから、さほど問題にならなかったわけです。でも、“古九谷様式”に近いか“柿右衛門様式”に近いかなんて、ぶっちゃけ個人個人の感じ方しだいです。だから、人によってどちらに入れるかが違ってたりもしてました。

 という感じで、平成のはじめ頃まできたのですが、昭和の終わり頃から、研究業界に大きな変化が起こりはじめたのです。それは、従来の美術史中心の研究から考古学中心にコロッと変わったことです。

 そもそも近世陶磁に関わる“近世考古学”自体は、すでに50年以上も前に提唱されていました。ところが、中身はスカスカの空っぽで、その後10年くらいの間で発掘調査された近世遺跡は数えるほどしかなかったのです。ところが、1980年代後半にはバブル期が訪れ、それ以前に増して急ピッチで開発が進むようになるわけですが、そうすると、当然その露払いとしての発掘調査が盛んになるわけです。典型的なのは、東京、とりわけ江戸の遺跡ですが、まあ、いくら新しいとは言っても、著名な大名屋敷とかもたくさんありますし、すごい量の陶磁片も出るので、ちょっとすっ飛ばすことは難しかったでしょうね。

 これは生産地もいっしょです。田舎ですが、それなりに開発が危惧される時代になったのです。そのため、佐賀や長崎の各市町村にも埋蔵文化財関係の職員が配置されるようになり、開発から窯跡を回避するため、事前に範囲や性格などを把握するための発掘調査が例年行われるようになったのです。まあ、たとえば、まさか有田で近世の窯跡は新しいので、発掘調査の対象外ってことにはなるはずありませんしね。今は旧西有田町と合併して状況は変わりましたが、もともと旧有田町では、窯跡に限らず、発掘調査で近世の土層を剥ぐと、すぐに人の生活の痕跡のない地山ってところばかりなんです。こんなとこ、全国的にも珍しいでしょうね。

 それはいいとして、そうするとどういうことが起こったと思いますか?でも、長くなりそうなので、続きは次回にしときます。(村)

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