先週土曜日に開会した今年度の企画展ですが、土・日は夜間開館と紅葉のライトアップを実施しました。今回も応援団の皆様のお力をお借りしましたが、とても職員だけでは対応できません。改めて御礼申し上げます。でも、今年の紅葉は各地の名所も同様でイマイチの色付きでした。ただ、こればかりは自然相手ですから如何ともしがたい所です。来年の2016年、有田焼創業400年の秋はきっと素晴らしい色付きになると思いますので、ご期待ください。
昨日は明治の有田焼(香蘭社や精磁会社など)製品を盛んに海外へ輸出した起立工商会社社長・松尾儀助さん(佐賀出身)の子孫が鎌倉市から来館されました。企画展事業の一環で、応援団から「天狗谷窯跡の現場を案内しましょう(要予約)」という案を出していただき、田川さん一行が最初の案内となりました。
『明治事物起源 五』によれば、この起立工商会社は万博を契機に明治7年11月3日、京橋竹川町にその店舗を構えたとあります。さらに「陶器、漆器、織物より、扇子、団扇のごとき小ものまで、各一流の製作者をして製作せしめ、(中略)一時は各種製作界、図案界の名工、みな同氏(松尾儀助)の傘下に集まりしといふも過言にあらざりし」とあるように、アメリカ・ニューヨークやフランス・パリに支店を設けるほどの勢いを持った貿易会社でしたが、「士族の商法」などと揶揄される会社の在り方もあって、明治20年代には商売を閉じてしまいました。でも、渋沢栄一や益田孝、大倉喜八郎など錚々たる人物が名を連ねる明治9年成立の商法会議所の一員として、松尾儀助さんも参画しています。日本の黎明期に活躍した佐賀人・松尾儀助さんの名は語り継ぐべき人物の一人であると思います。 (尾)