一昨日、東京から執行一平(しゅぎょういっぺい)さんの訃報が届きました。執行さんは佐賀藩士であった執行弘道さんの甥で、2012年、東京・東洋文庫ミュージアムを会場に開催された「アメリカのジャポニスム~日米文化交流の歩みと知られざる偉人・執行弘道」のシンポジウムでお目にかかり、弘道さんに関して何度か書簡を交わしたこともありました。
この執行弘道さんは1853年(嘉永6)に佐賀藩士執行改蔵の長男として生まれています。その後、藩校弘道館を経て東京留学。大隈重信の門下生となり、1871年(明治4)に佐賀藩海外留学生として米国に留学。帰国後、外務省、三井物産を経て、1880年(明治13)に起立工商会社の社長松尾儀助に招かれニューヨーク支店長として渡米しました。その編さんにも参画したという「紐育日本人発展史」(1921年 大正10発行)にはアメリカ・ボストンのアーサー・フレンチが有田を訪れ、米国市場が要求する形状、寸法など洋食器の製造に関して精磁会社で指導したことがありました。当時、起立工商会社社員の八戸欽三郎さんと執行弘道さんが共に仕入れのため有田を訪れた際に、手塚亀之助さんの家に滞在中のフレンチの食料として牛肉、牛乳、野菜などを佐賀市から有田まで運んだことが記されています。
執行さんの功績は起立工商会社時代からアメリカで日本美術の普及に努めたことがあげられますが、自身確かな鑑識眼を持ち、エドワード・S・モースの日本陶磁器のコレクションを助け、建築家F・L・ライトの浮世絵収集にも協力し、その他、アメリカの数多の画家や資産家の日本美術収集にも仲介の労をとりました。
また、国内で開催された勧業博覧会はもとより1893年(明治26)のシカゴ万博、1900年(明治33)のパリ万博、1904年(明治37)のセントルイス万博などに事務局員や鑑査官などで参画しています。その他、アメリカ各地で講演を行い浮世絵展も開いています。これほどまでに美術普及に努めた人物ながら、最近までその功績はあまり知られていませんでした。
弘道さんは1927年(昭和2)7月2日、74歳で亡くなりました。1912年(大正元)、歌舞伎座付きの作家榎本虎彦(破笠)のシナリオによる芝居「名工柿右衛門」が11代片岡仁左衛門の主演によって東京で公演されました。初演に際し、藤山雷太ら佐賀県人会は大壺の絵柄の引き幕を贈っていますが、そのデザインは執行弘道さんによるものでした。
東京麻布の賢宗寺にある執行弘道さんの墓碑
伯父弘道さんの功績をもっと多くの人に知ってほしいと願った一平さんですが、その思いは確かなものとなっていっているのではと思います。一平さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。(尾) H28.3.11