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中樽一丁目遺跡の山小屋窯製品

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本日も、先週に引き続き、中樽一丁目遺跡で出土した山小屋窯跡の製品をご紹介します。

その前に、中樽一丁目遺跡の性格について簡単に説明しておきますが、江戸時代の製陶業者には、大きく分けて2つあります。一つが製土から登り窯による本焼きまでを担った“窯焼き”と呼ばれた業者で、もう一つは上絵付けを行う“赤絵屋”です。そのうち、中樽一丁目遺跡は、“窯焼き”の住居兼工房が所在した場所で、時期にもよりますが、おそらく調査区内に3、4軒程度はあったものと推測されます。その成立期の製品として出土するのが、山小屋窯跡の製品です。

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山小屋窯跡は、1640~50年代初頭頃に操業した窯で、あまり大きな製品はありませんが、当時の技法はすべて網羅しているのではと思われるほど、多彩な製品が作られています。中でもよく知られているのが、鉄釉の皿や小鉢などの見込みを白抜きして施文するもので、かつては、石川県加賀市の吸坂産と考えられ、古九谷の中の“吸坂手”などと称されました。写真の皿もそのたぐいのものですが、内面口縁部を青磁としているものは、なかなか例がありません。口縁端部が少ししか残ってないので分かりにくいのですが、花形に型打ちされた口縁端部には雪輪文の輪郭のような小さな丸い切り込みが残っています。見込みの白抜き部分に染付で施文するものも多いのですが、この皿は染付は使わず、桃の折枝文をかたどって白抜きしています。(村)H28.4.14 

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