前回は、中樽一丁目遺跡から出土した、後期の鍋島の尺皿をご紹介しました。なぜ、鍋島などが窯焼きの工房跡にあったのか、ちょっと不思議です。ただ、これまでの例でも、いわゆる盛期鍋島の染付三寸皿が、赤絵町遺跡で出土したことはあります。こっちは赤絵屋跡です。
鍋島ですが、実は、中樽一丁目遺跡では、もう1種類出土しています。染付五寸皿で、外面胴部には七宝繋ぎ文を配し、高台には輪郭線の中を塗り潰した櫛目文が巡る、バリバリの盛期鍋島です。
ただ、内面の文様はちょっと変わっていて、類例を見たことがありません。見込みの中央に唐花風の文様が配されており、その周りを雲気文状の文様で埋め、鶴かと思われる足の長い鳥を三方に配しています。そして、よく見ると、その間に七宝文や隠蓑と隠笠かなと思われる宝文様が描かれています。
少なくとも、2分の1以上残る同じものが4個体は確認できるので、たまたま破片の状態で紛れ込んだもの、というわけではなさそうです。(村)H28.5.13