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和田三造画伯

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先日のことです。BS朝日の「百年名家」という番組で、北九州市にある旧松本家住宅が紹介されていました。明治45年に建てられた洋館で、国の重要文化財に指定され、現在も利用されている建物です。以前、知り合いがこの建物で結婚式を挙げたことがあり、すごいらしいということは情報として知っていましたが、この設計をしたのが唐津出身の辰野金吾博士であること、また施主は筑豊の御三家の一人、安川敬一郎さんとその次男・松本健二郎さんであること、安川氏らが新しく「明治専門学校」(現在の九州工業大学)を自費で建築するという申し出に感銘を受けた辰野博士が無償でその設計を引き受けたが、それではあまりに申し訳ないと自宅の設計を依頼したことなど、一つの建物が持つこの史実も今では考えられないことで大変興味深いものでした。

建物内を紹介する中で、洋館の壁いっぱいにかけられたタペストリーやステンドグラスの窓の絵の作者が和田三造という画家の作品であるとの紹介に、はてな?どこかで聞いたことがある名前だなと思って思いを巡らせた結果、そう、この有田でも招聘したことのある画家でした。

和田三造画伯について、「美術人名辞典」によれば次のようにあります。

兵庫県生。東京美術学校卒。白馬会研究所で黒田清輝に師事。文部省派遣留学生として欧州を巡歴、絵画研究のほか工芸図案を学び、帰国後は日本染色工芸協会を設立するなど色彩研究にも多くの業績を遺した。東美校教授。帝国芸術院会員。文化功労者。昭和42年(1967)歿、84才。

また、「肥前陶磁史考」には次のようにあります。

昭和六年八月十日、知事半井清は、有田焼図案改善の目的にて、画伯和田三造を招聘し伴うて有田に来り、親しく各工場を視察せしめたのであった。そして当日松煙亭の歓迎席上に於いて三造より其感想談を披瀝したのである。

この日のことは有田町役場日誌にもあり、江越米次郎町長も松煙亭の歓迎会に列席したことを記しています。

さらに、昭和7年10月8日の日誌には次のように記されています。

前日同様見本市に従事多忙、午後四時より陶山神社社務所内に於いて見本市協会主催園遊会あり。会長内務部長・村山商工課長・井原県属・和田三造画伯・重富第二窯業試験場、午前十時半有田工業学校に於ける和田画伯の図案二百五十種につき講演会に臨席。終了の上正午過ぎ一行来市、小学校に於いて昼食。午後二時より四時まで深川新宅別荘に休憩の上、園遊会に臨席。同五時一行は佐賀へ向かわれり

ここにある和田画伯の図案250種がどのようなものであったかはよくわかりません。しかしながら、佐賀県知事が率先して有田焼の図案の改良に取り組まれたというのは、平成の世も少しも変わらず、改めて有田町、有田焼は恵まれた歴史を持つ地域であり産業であると思った次第です。(尾)H28.6.14

genkanhana 

「当館の玄関を彩る花は、毎週のように有田町役場OBである百田さんが
  季節の花を持参いただき活け代えていただいております。今回の花は
  夏の到来を思わせるような素敵なものです。」

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