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中樽一丁目遺跡の磁器

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しばらくご無沙汰してしまい、大変失礼いたしました。なかなか時間の取れない時もありますが、極力定期的にアップできるように努めたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、今回も中樽一丁目遺跡で出土した資料を、一つご紹介したいと思います。

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写真は、内面に縁取りをして中を塗り潰した網目文と、丸文を組み合わせた中皿で、残存部の丸文には菊花文と鳳凰文が描かれています。外面には一般的な製品には見られない、開いた五弁の花びらの部分まで縁取り線を描いて中を塗り潰す独特な唐草文が巡らされています。これはいわゆる禁裏御用品と称される公家向けの製品と推定されるもので、この遺跡ではほかにも出土していますが、これまで窯跡などの例はありません。

出土したのは、文政11年(1828)の内山の大火直後の層で、禁裏御用品はほかに大火時の層でも出土しています。火事の際に二次的な火熱を受けたものも見られるため、1828年以前の製品が含まれることは間違いありませんが、この皿もその可能性はあります。ただし、焼成の際にゆがんで、外面胴部には茶色の窯道具の熔着も見られるので、少なくとも生活用具などとして使用するため、遺跡内に持ち込まれたものではありません。

ところで、この大火に比較的近い文化11年(1814)の記録によると、当時禁裏御用品を焼いたのは、上幸平の辻喜平次や泉山の市助、九兵衛という人物だったと言います。この3人が、例年正月用に間に合わせるように御用品を焼いていたようです。

ということは、出土した皿は、この3つの業者のいずれかのものの可能性は高いだろうと思いますが、遺跡の所在する中樽一丁目と上幸平地区や泉山地区は、隣接はしていますが、別の地区には違いありません。もちろん、それぞれの地区に、当時稼働していた登り窯もありました。居住区とは別の地区の登り窯を使用することもあったようですが、なぜこの遺跡で出土するのか理由は分かりません。さらに、大火の層では、染付碗の見込みに「辻」銘を入れたものが出土していますが、今のところ、上幸平の辻家との関係は不明です。
(村)H28.6.17 

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