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洋食屋自由亭

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先般、旧知の長崎市歴史民俗資料館の永松実氏から、このほど上梓された「本邦初の洋食屋」を恵贈いただきました。以前からご執筆の話は洩れ伺っていましたので、楽しみにしていました。長崎出島オランダ総領事の料理人だった草野丈吉氏が、長崎で自由亭(当初は良林亭、さらに自遊亭を経て、佐野常民の勧めで自由亭に改称)という洋食屋を始めたことを紹介されています。海軍伝習所の第一期生であった佐野は藩主鍋島直正公を連れて訪れたとのことで、蘭癖大名とも称された直正公もこの折、本格的な洋食を味わったことだと思います。

ところで、有田は皿山という土地柄、器は捨てるほど?ありますが、以前は「料理屋が育たない」といわれてきました。理由は諸々あったかと思いますが、窯元や商社のトップは有田以外の料理屋さんを使うことが多かったこともその理由の一つにあげられています。つまり、誰それさんと誰それさんが会食していたという噂が流れると商いに支障をきたすということがあったのかもしれません。勿論、今はそういうことも少なくなり、素晴らしい器で美味しい料理を楽しめるお店が増えてきました。

昔の料理屋さんで松煙(園とも)亭というお店がありました。登り窯で松の木を燃料として焼成し、そこから立ち上る煙に因んだ優雅な名を持つこのお店には、明治42年以降の「日本 支那 西洋 四季料理献立」という資料が残されていました。三代目であった田中芳郎さんの頃のものだそうですが、婚礼やお茶会から普通会席までさまざまな料理の献立が記されています。また、四季の料理方法も例えば鯛の生き作りという料理では「片はらに魚籠を置き、それに小笹をさし又片はらに長き一本の竹を立て、右の籠を魚かごとし、長き一本の竹をつりさおとし之を恵比寿鯛と云ふ」という風に、盛り付けも賑やかな膳だったことが想像できます。


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                      昭和の初め頃の松煙亭、右側の突出した四角い3階建の建物


さて、8月になると九州陶磁文化館の一角にUSEUM  ARITAがオープンするとのこと。人間国宝や三右衛門の作品を使って食事を楽しむことができるというものだそうです。どんな器に美味しい料理が出てくるか楽しみです。 (尾)H28.7.19

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