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山辺田遺跡の出土品(4)

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今回も、山辺田遺跡出土の青手をご紹介いたします。平成25年度調査で出土した中皿ですが、ほかに接合はしませんが、同一個体と推測される、高台銘の一部が残る底部の破片も出土しています。また、平成27年度調査でも口縁部まで残る同様な2つの破片が出土していますが、1点は今回の写真の破片と接合し、もう1点もおそらく同一個体と推測されます。

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写真の破片は、前回ご紹介した大皿と同じように、外面に渦状の唐草文を全体に巡らすタイプです。大皿と比べると渦状の文様は、少し丁寧に描かれています。上絵具はすべて剥落してしまっており色調は不明ですが、おそらくこうしたタイプの場合、高台内は塗り潰されていなかっただろうと思います。内面の文様もほとんど剥落していますが、左側には黄色で塗った網干(あぼし)のような文様が描かれ、右下には紫色かと思われる岩状の文様が見えます。

この外面に渦状の唐草文を描く中皿には、内面に網干文を配した山水文を描く伝世品が、以前より知られていました。山辺田遺跡では、渦状の唐草を配す大皿は比較的多く出土していますし、伝世品の畳付の無釉部分が赤っぽく発色し鉄分が多いことをはじめ、その他の素地の特徴も類似することから、かねてよりその伝世品は“山辺田の色絵”と推測していました。実は、この伝世品の高台内には、上絵で二重方形枠内に「承応貮歳」(1653)の銘が配されています。出土した底部の破片にも二重方形枠の一部が残るので、あるいは同じ年号銘が配されていたのかもしれません。いずれにしても、出土した破片もその頃の製品と考えて間違いありません。

ちなみに、よく知られているように、高台内に配される年号銘は、「大明成化年製」など中国の年号が一般的です。こうした「承応貮歳」などの和暦銘は、高台内に配す定型化したものとしては、「承応貮歳」銘が最も早いものです。ほかには、山辺田のような色絵ではなく、染付で「承応貮歳」の文字だけを二行に配したものが楠木谷窯跡で生産されています。ただ、なぜこの年に突然和暦銘が使われたのかは、今のところ分かりません。

もっとも、これ以後継続的に和暦銘が使われるようになるわけではなく、これに続くのは「延寶年製」(1673~81)、その次が「元禄年製」をはじめ元禄(1688~1704)の銘を入れたもので、それ以後も和暦銘を使う時期は断続的です。(村)H28.7.22

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