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戦争と有田・有田焼

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今朝は朝から久し振りの降雨で、ヒトも植物も生き返った感じでした。まさに干天の慈雨そのものでもありました。こういう風に、適度な雨であればいいのですが…。

ところで、昨日は終戦記念日でした。71年前の8月15日を先人たちはどのような思いで迎えられたのでしょうか。戦争体験者が年々少なくなっていく中で、未来の日本を背負う子ども達に二度と戦争の時代が来ないことを念願しています。

すでにお知らせのコーナーでも紹介していますが、8月31日(水曜日)まで、ミニ企画展としてエントランスホールで「戦場からの手紙」を展示しています。戦場に赴いた父・篠原高三さんから有田で銃後の守りをしていた妻や子ども達、家族に宛てた手紙7点と、当時の有田の様子を写した写真等8点です。

毎年この季節になると“有田焼と戦争”の関わりなどについての問い合わせが相次ぎますが、今年もテレビ局や新聞社から手榴弾や各種兵器などについての取材がありました。中でも驚いたのは福岡の放送局からもたらされた、昭和20年7月31日に当時の有田村をアメリカ軍機が機銃掃射している様子を写した映像でした。有田村役場日誌にはその日の様子が次のように綴られています。

 

「午前九時外尾保育園閉園式挙行、午前十時四十分頃敵空襲あり、銃撃のため死亡者一名、重傷者約十名あり、各吏員応急処置の為有田病院及び現場等へ出張」

 

また、聞き取り調査で操縦士の顔がわかるくらい低空で飛んできたという当時のことを生々しく覚えていらっしゃった方からも伺っていましたし、頭では理解していたつもりでしたが、今回、アメリカ公文書館で発見されたというわずか19秒の映像でしかも画質もそうよくはない映像ではあったものの、この機銃掃射の先には亡くなった方もいたのだと胸が詰まる思いでした。また、香蘭社に勤務中の岩崎さんは2機の飛行機が東のほうから西の方へ向かったことを覚えていらっしゃったのですが、その1機はその様子を撮影していたのですね。改めて戦争はヒトが本来持ち合わせている人間性を失わせてしまうのだと思いました。  

(尾)H28.8.16

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昭和20年 有田村役場日誌有田村役場日誌 昭和20年7月31日

 

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