文字サイズ変更 拡大標準
背景色変更 青黒白

山辺田遺跡の出土品(8)

最終更新日:

山辺田の窯場でも、おそらく1610年代の中で陶器とともに磁器が併焼されるようになったものと推測されます。当初は全体的には粗質なものが多く、それほど特徴的な磁器は見られませんが、1630年代後半~40年代頃には、呉須の色調も濃いめでしゃれた絵を描くものも多くなります。また、この頃には中皿も増えるのですが、突如として大皿を焼きはじめることに大きな特徴があります。

口径が30cmを大きく超える大皿は、磁器の創始後、1637年の窯場の整理・統合以前には、小溝上窯跡や小溝中窯跡など、小溝の窯場がほぼ生産を独占しており、口径が40cmほどもあるものも見られます。しかし、小溝の窯場は窯場の整理・統合とともに廃窯となり、その前後の時期に、新たに山辺田の窯場で大皿生産がはじまります。

yanbeta11yanbeta12
    染付流水草花文大皿                

写真の大皿は、その中でも比較的早い時期の製品と推測され、出土したのは山辺田遺跡ですが、山辺田窯跡では3号窯や6・7号窯を中心に出土しています。ただし、山辺田窯跡の場合、9か所発見されている窯跡の窯体や物原が複雑に重なりあっているので、正確に出土製品と焼成窯を結び付けるのが困難です。そのため、たとえば3号窯製品という場合は、発掘調査の際に3号窯と命名した登り窯跡の部分から出土したものという意味で、必ずしもその窯体で焼成されたことを表すわけではありません。

写真の大皿は、分類上は「初期伊万里様式」に区分されるもので、初期伊万里の場合、高台が小さめで、外面に施文するものも皆無ではありませんが、高台内も含めて無文とするのが基本です。ただし、この皿の場合、口縁の基部に二重圏線が巡らされていますが、同じ初期伊万里でも、1640年代には外面胴部に施文するものも比較的多くなります。

内面には、見込みに流水草花文が描かれ、外に折り曲げた口縁部には、独特な描法の唐草文が配されています。この唐草文の描法はほぼこの山辺田の窯場のみに見られるもので、近接する多々良の元窯跡でやや似たものが1点出土しているに過ぎません。したがって、見込み文様の異なる伝世品がいくつか知られていますが、山辺田の窯場の製品と考えて間違いありません。

こうした口縁部に唐草を巡らす大皿は、この後も山辺田の窯場では、廃窯となる1650年代後半まで作り続けられます。ただし、1650年代頃には、口縁部を外側に折るものから、折らずに直線的に立ち上がるものに変化します。

(村)H28.8.26

このページに関する
お問い合わせは
(ID:642)
ページの先頭へ
有田町役場 文化財課

〒844-0001 佐賀県西松浦郡有田町泉山一丁目4番1号

電話番号:0955-43-2678

FAX番号:0955-43-4185

© 2024 Arita Town.