前回、山辺田の窯場で出土する口径が30cmを超えるような染付大皿をご紹介いたしました。前回のものは、1640年代頃の相対的に早いタイプの製品で、縁を外側に強く折って、内面口縁部には山辺田独特の唐草文を巡らすことに特徴がありました。
今回のものは、やはり山辺田遺跡で出土したものですが、山辺田窯跡では4号窯などから出土するタイプで、前回の大皿よりもやや新しい1650年代前半頃と推測されるものです。
ただし、前回も記しましたが、山辺田窯跡の場合、窯体と物原の位置関係が明確ではないため、実際に4号窯で焼成された製品という意味ではありません。実は、4号窯は山辺田窯跡の中でも最も成立時期の古い窯の一つで、当初は胎土目積みの陶器を生産し、途中で目積みが砂目積みに変化し、磁器焼成が開始された頃に廃窯となった窯です。
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染付山水文大皿 | |
今回の染付大皿の場合は、口縁部は外反していますが、相対的に古いタイプのように縁を外側に大きく折り曲げることなく、内面口縁部に花唐草文を巡らしています。この花唐草文の描き方も、山辺田の窯場以外にはほとんど例のないもので、この皿自体は初期伊万里様式ですが、山辺田の窯場では、同様な唐草文を描いた古九谷様式の色絵磁器も見られます。
ちなみに、この皿と同様な時期には、前回紹介した大皿と類似した唐草文を巡らすものも作られています。しかし、やはり口縁部は外側に折り曲げることなく、直線的に立ち上がるようになります。また、1650年代頃になると、全体的に大皿もやや口径の小さなものが多くなり、40cm前後もあるものは見られなくなります。(村)H28.9.2