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山辺田遺跡の出土品(10)

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山辺田窯跡は1600年代から1650年代に操業しており、当初は陶器が生産されていましたが、1610年代頃になると、磁器も併焼されるようになります。そして、1637年の窯場の整理・統合を契機として陶器生産が廃止となり、1640年代中頃からは、いわゆる「古九谷様式」の製品が作られるようになりました。

最初の磁器は、一般的に「初期伊万里様式」と称されます。山辺田窯跡では、磁器の成立期から廃窯期まで継続して生産された様式で、一時、「古九谷様式」と併焼されています。写真は、山辺田遺跡から出土した「初期伊万里様式」の染付小皿で、外面は無文で高台径も小さい点などは、様式の特徴をよく表しています。また、内面には、口縁部の二方向に簡素な草文が描かれるだけですが、このように口縁部の数方向に簡素な文様を描くものは、相対的に下級な磁器に多く見られます。

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     染付草文小皿(砂目積み)

ちなみに、1637年頃の陶器廃止期以前の下級磁器は、比較的簡単に見分けることができます。写真の皿には見込みと高台の部分に、それぞれ丸めて配置した砂の跡が残っています。これは砂目と呼ばれ、同じ種類の皿を何枚も重ねて焼く際に、釉薬によって上下の皿が熔着してしまうのを防ぐための窯詰め方法です。何枚も重ねて焼くため、一度にたくさん焼けますが、砂目の跡、いわば傷が残ってしまいます。

有田の窯業は、陶工の持つ朝鮮半島の李朝時代の技術を基盤としているため、焼成の際の窯詰め技法は、李朝と同じ方法が用いられています。高級品は匣鉢に詰め、中級品は一点ずつトチンやハマなどの焼台類に乗せ、下級品は目積みして重ね焼きされます。つまり、写真の皿は砂目積みされているため、磁器の中では、相対的に下級品であることが、客観的に分かるのです。

では、陶器廃止後の下級品の見分け方はどうかといえば、それはちょっと無理です。というのは、窯場の整理・統合の際に陶器が廃止されましたが、同時に目積みするような下級磁器も廃止されたからです。つまり、1637年頃を境として、一度中級以上の磁器しかなくなったということです。(村)H28.9.9

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