昨日は敬老の日でした。そろそろ自身が敬われる(かどうかはいささか自信ありませんが)年齢になりつつありますが、最近は100歳という年齢をお聞きしてもそうは見えない元気な方が多くなりました。
ところで、いつごろから敬老、高齢者や親を敬うということが話題になってきたのでしょうか。ここ有田皿山代官所の管轄下では下記の記録を見ることが出来ます。
・文化13年(1816) 白川山覚太夫は焼物荷下方として暮す中で殊に父母へ暑寒を厭わず貧しい中でも不自由をさせないようにと孝養を尽しているということで、褒美として鳥目1貫文
・文政2年(1819) 伊万里横町亡貞兵衛後家曾代は夫の死後わずかの商売を相続し姑へ昼夜孝養を尽しているということで褒美として 鳥目2〆文
・文政3年(1820) 嬉野内野山釜焼儀助子喜太郎は兼て職方の心懸け厚く、第一両親へ孝養を尽しているということで褒美として 鳥目2〆文
ご褒美の違いに少し疑問も残る所ですが、つつましく日々をおくりながらも親に孝行している人々に対し、代官所に於いて恭しくご褒美が下されたことが想像できます。
また、古写真の記録では大正14年6月7日、有田町愛国婦人会が主催して有田尋常高等小学校で敬老会が開催されています。75歳以上の男女を招待したとあり、当時としては長命の皆様だったと思われます。長い年月を生き抜いてきた方々に対して敬意を表することはいつの時代も変わらないことだと思います。どうぞ皆様、いつまでも健康で長生きしてください。(尾)H28.9.20