本日ご紹介する出土遺物は磁器ではなく陶器ですが、生産地以外ではまず出土することのない珍しいものです。
![16120201b_1](https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji003731/3_731_1_p1b2v0836a19v0qjl143pqoj1jj55.jpg) | ![16120201a_1](https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji003731/3_731_2_p1b2v083691k09hahkfj1o4g1bsh4.jpg) |
陶器製かんもう 上面 | 下面 |
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蹴ロクロの図(「京都陶磁考」『陶器全集』第四巻 思文閣 より転載) | かんもう部の拡大 |
写真1は、山辺田遺跡で出土した一辺が数cm程度の小さな長方形の陶器質の遺物で、各辺の側面には二つずつ溝が穿たれています。そして、上に当たる面には円形の飛び出しが設けられており、下面には中央に円形の穴が開けられています。ただし、この形状のものは極めて珍しく、一般的には正方形や円形で上面に円形の凸部はなく、下面に円形の穴が設けられるだけです。とは言え、こうしたものを含めても、めったに出土するものではありませんが。これらは共通して、穴の内部まで、施釉されていることに特徴があります。
これは、写真2の成形用の蹴ロクロの「ハ」にあたる、上盤の心棒を支える部分に埋め込まれる部品で、有田では「かんもう」と呼ばれるそうです。穴の中まで施釉することによって心棒との摩擦が和らぎ、ロクロがスムーズに回転する仕組みになっています。
有田では、ロクロのことを「クルマ」と呼び、足で回す蹴ロクロが用いられました。木製で上下2枚の円盤が4本の角棒で連結固定されており、その間に心棒が通されています。心棒は地中に埋めて、固定されていました。そして、上の盤の上に粘土を据え、下の盤を足で蹴って成形します。
出土した写真1の「かんもう」は、上面の凸部付近に3つの砂目が残っていますので、目積みする陶器皿などの一番上に重ねて焼かれたものと推測されます。この目積みから、1610年代~30年代頃のものであることが分かります。(村)H28.12.2