皆さま、あけましておめでとうございます。有田焼もいよいよ創業401年目となり、これからが本当の力を試される時だと思います。文化財課や資料館も、微力ながら有田の歴史に関する調査、研究、普及活動などに尽力してまいりたいと思いますので、本年もよろしくお願いいたします。
ということで、新年の第1回目も、引き続き山辺田遺跡の出土品をご紹介いたします。ただ、これまでと少し目先を変えて、山辺田の窯場で作られた製品ではなく、おそらく手本などとして遺跡内に持ち込まれたものであろう、中国製の「染付鳥文碗」を取り上げてみます。
写真の碗は、分類上は一般的に「祥瑞」と称される種類のものです。なじみのない方々にはなかなか読むことさえ難しそうですが、「しょんずい」といいます。これは、一部の製品の高台内に「五良大甫呉祥瑞造」の銘が配されることに由来します。江戸後期以降、伊勢の陶工五郎大夫説など、日本の陶工銘と捉えられ、日本磁器創始の最も有力な候補者と考えられていた時期もありました。ただ、昭和30年代頃には、中国の「呉家の五男の家の長子」説などが唱えられ、少なくとも今日では、日本人陶工説を推す人はいないと思います。
時期的には、中国・明代末期の崇禎(すうてい)期(1627~44)頃に景徳鎮で作られていたもので、主に日本の茶人向け焼かれたものだと考えられており、現在でも日本にはたくさん残っていますが、中国ではほとんど知られていません。
呉須の色調は鮮やかで、文様は、捻花や窓絵、丸文などによって器面を区画し、多くは雷文や四方襷文をはじめとする幾何学的な文様を精緻に埋め込んだ、祥瑞文様などと通称される独特な構図が配されます。写真の製品は、あまりたくさんの文様を埋め込めるタイプではありませんが、外面口縁部には細かい波状の帯を巡らし、内面の丸文などにも祥瑞文らしさがうかがえます。
また、高台は畳付を丸めに削って、外側面は深く削り込むのが特徴で、その上に櫛目文などを巡らします。口縁部に、口銹を施すものも珍しくありません。
もともとロクロ成形された円形の碗ですが、体部を押してわざと変形させています。こうした点も、日本的な趣向に合致するところですが、写真では分かりにくいですが、実際にはかなりゆがめており、ほぼ楕円形に近い形状にしています。
現在、この出土碗は九州陶磁文化館で開催中の『日本磁器の源流』展に貸出し中です。ほぼ同じ感じの東京国立博物館所蔵の「染付鳥文碗」と同時に並べられていますので、関心のある方はぜひこの機会にご覧になられてはいかがでしょうか。(村)H29.1.6