前回の山辺田遺跡の出土品紹介で、中国・景徳鎮製の「祥瑞」碗を取り上げました。今回は、その祥瑞を模して作られていることから、古九谷様式の中でも「祥瑞手」として区分される、色絵素地の大皿をご紹介いたします。
祥瑞手は、古九谷様式の中でも最も早く成立した種類の一つで、1640年代中頃のことと推測されます。一方、景徳鎮の祥瑞は明朝最後の崇禎期(1627~44)頃に生産されたと考えられており、祥瑞と祥瑞手は、ぎりぎり生産が重なるか重ならないかくらいの関係にあります。ということは、少なくとも日本で色絵磁器を開発するにあたり中国人陶工から技術的影響を受けたとすれば、その中に祥瑞の技術が含まれていても何ら不思議はありません。
祥瑞手の特徴は、景徳鎮の祥瑞のように四方襷文など幾何学的な文様を地文として器面の一部を埋め、そこに丸文や窓絵などを配すことや、基本的に赤、黄、黄緑の上絵具を用いて、文様の輪郭線を赤で描くことなどがあります。また、高台は高めで外側面に文様帯などを巡らすものが多いのも特徴です。さらに、例外はありますが、素地には下絵である染付の文様や圏線を伴い、上絵と組み合わせて文様を完結させます。
写真の色絵素地大皿は、内面の底部の周囲に二重の染付圏線を巡らし、胴部から口縁部には丸文を散らして、その間を四方襷文を配した地文で埋めています。そして、口縁部は口銹を施し、輪花状に加工されています。
また、外面は高台内に二重圏線を巡らし、高台内直下にも一重の圏線を配しています。この圏線配置は、山辺田の窯場独自のもので、ほかの窯場の大皿には例がありません。畳付の外側面は深く削り込んでおり、写真では見えにくいのですが、高台の外側面には線描きの櫛目文が巡らされています。また、2方向しか残存していませんが、もともと胴部の3方向に折枝文が描かれ、その間に丸文が配されます。
内面の地文の形状が少し異なりますが、この色絵素地大皿と類似する伝世品が東京国立博物館に所蔵されており、見込みには岩肌から伸びる紅葉樹や鹿文などが、赤、黄、黄緑の上絵具で描かれています。この伝世品は、昨年10月~11月に九州陶磁文化館で開催された『日本磁器誕生』展にも出品されていましたので、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。(村)H29.1.20