山辺田遺跡で出土する色絵の素地には、圏線や文様など下絵の染付を伴うものと、無文の白磁があります。山辺田の窯場に限れば、相対的に早い段階の色絵素地は染付を伴い、後になると白磁の割合が急増します。つまり、山辺田の窯場で当初開発された色絵は染付の下絵を伴うものであり、白磁を素地とするものは、やや遅れて二次的に他の窯場の影響を受けてはじまったものと推測されます。
この白磁を素地とする色絵は、大別すると全面を上絵具で塗り潰す青手と余白を残す五彩手の二つの種類に分けられます。また、それぞれは内外面の文様の組み合わせなどから、さらに細分が可能です。本日ご紹介するのは、この中で白磁を素地とする五彩手の製品ですが、細かな分類は別として、伝世品に一般的な種類とほとんど伝世品には見られない種類に分けることが可能です。
山辺田の窯場の五彩手は、最初期の染付を伴う色絵の段階から、緑、黄、紫、青などの上絵具の使用割合が高く、赤も使いますが、全体的には寒色系の色使いが特徴です。これをさらに徹底したのが、白磁を素地とする青手で、赤絵具は一切用いられません。実は、これは白磁を素地とする五彩手の中でも伝世するタイプには一般的な特徴で、赤絵具を使用したものも皆無ではありませんが、基本的には、緑と黄を主体に紫と青を加えた配色となっています。
山辺田遺跡出土色絵磁器
ところが、写真の製品などほとんど伝世しないタイプは、逆に赤絵具を使用することが多く、これまではあまり存在自体が知られてきませんでした。しかし、実際には山辺田遺跡の発掘調査では比較的多く出土しており、色絵の中では特に珍しいものではありません。用いられる素地は、粗雑な質のものが主体で、絵付けもラフに描くものが一般的です。また、伝世するようなタイプと比べ、平均的には構図の中に多くの余白が設けられているような印象を受けます。たぶん、伝世するような赤絵具を用いないようなタイプよりも、相対的に下ランクの製品である可能性が高いものと推測されます。
白磁の色絵素地は、おそらく有田の東端に位置する楠木谷窯跡で開発され、それが急速に有田一円に広まったものと考えられます。この楠木谷窯跡の色絵技術では、赤絵具の使用が相対的に多く、構図の中に余白も多く取られます。有田ではこの技術が主体的に継承されたため、後には赤絵具を多く使用する製品が一般的になったのです。おそらく山辺田の窯場の白磁素地で赤絵具を使用するタイプも、この楠木谷窯跡に端を発する技術の影響により作られたものと推測されます。赤絵具を用いない伝世するタイプが、山辺田的格式というか伝統を継承する正統派っぽいものなのに対し、赤絵具を使用するタイプは、どちらかと言えば、他の窯場の模造品的なものとでも言えるかもしれません。
実は、古九谷の生産地論争で知られる石川県の九谷古窯跡やその工房跡と推測される九谷A遺跡などで出土している色絵磁器は、染付の下絵を伴うものはなく、多くは上絵に赤絵具を使用するものです。つまり、古九谷として伝世する白磁を素地とするものとは、本来種類が異なるのです。おそらく九谷古窯跡は、1650年代前半頃の有田の技術が伝播して、開窯した可能性が高いものと推測されます。これは、出土している各種の製品や窯道具類の組み合わせなどから、山辺田の窯場発である可能性が高く、中でも今回ご紹介したような、白磁を素地とし、上絵具に赤を用いるようなタイプの技術ではなかったかと推測されます。(村)H29.2.3