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有田の陶磁史(230)

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 前回まで、“初期伊万里様式”、“古九谷様式”、“柿右衛門様式”、“古伊万里様式”と時間軸で一列に並べる様式変化の概念は、現代ではちょっと維持するのが難しいという話をしました。それから、ちょっとだけ触れましたが、後ろに様式の付かない生産地別の分け方から、様式の付く製品のスタイル分類に変わったはずなのに、往々にして、両者ごちゃまぜで使われていることも少なくないという話をしました。つまり、分類自体は極めてシンプルなんですが、運用が何とも複雑で、たぶん一般の方々がそつなく使うことは至難の業です。もちろんそんな脈絡のない運用をしてる方が悪いんですが、長年の積み重ねでこうなってるのでそう簡単には変わらないでしょうね。だから、学術用語としては使えないということなんですが…。

 で、話は変わって本日の内容ですが、発掘調査資料が加わって陳腐化してしまった様式変遷を現代風にアレンジするとどうなるのかって話をしようかと思います。すでにいろんなところでレイアウトを変えながら使われてますが、挿図は日々発掘調査資料に埋もれつつ、独自に編み出した様式変遷の模式図です。自分でもレイアウトは少しいじったりしますので別バージョンもあるかと思いますが、中身的にはこれがオリジナルです。  

 肥前の近世窯業では、まず磁器に先だって、唐津焼と称される陶器が生産されはじめます。このあたりはずっとずっと昔に話してきたはずですが、技術的には、そっくりそのまま朝鮮半島の李朝時代の生産技術です。日本の既存窯業の技術は、露ほどにも入っていないということがミソです。いや、補足しときますが、技術的な関わりはありませんが、既存の窯業の影響は受けてますよ。商品ですから、売れるものを作らないといけないので。特に、同じ施釉陶器として顧客がバッティングする、老舗の大企業である瀬戸・美濃とは、同じような品揃えにしとかないといけませんから。ほかにはすり鉢だと、当時一番世の中の評価が高かった備前を摸したものとかもあります。

 そして、その技術の中で、最初の磁器である“初期伊万里様式”の製品が誕生したわけです。しかし、唐津焼とまったく違うのは、あえて中国磁器風にしたことです。そのため、たとえば型打ち成形の技術や呉須の用法やら、伝わった李朝の技術にはなかったものを一部中国系の技術導入で補っています。と、ここまでは従来と同様に一列です。ただし、“初期伊万里様式”が完成したからと言って、唐津焼がなくなってしまったわけではありません。唐津焼は唐津焼としてそのまま並行しますので、陶器と磁器の2系統になったという方が正確でしょうか。

 次に、“初期伊万里様式”から“古九谷様式”への移り変わりも一列です。この二つの様式の違いは何かと言えば、再び中国の技術も取り入れて、景徳鎮磁器風のスタイルを確立したことです。そして、景徳鎮と比べて不足していた色絵の技法もはじまりました。ただし、唐津焼から“初期伊万里様式”への変遷と同様に、“古九谷様式”が確立したからと言って、“初期伊万里様式”がなくなってしまうわけではありません。最新技術の塊である最新様式が、時々の高級品を賄うものとして使われた一方、従来の様式の技術は、より普及帯の製品を担う技術として残るという仕組みです。つまり、従来の様式変遷とは違い、磁器も同時期に複数の様式が並行するということです。

 というわけで、まだまだ続きますので、本日はこの辺までにしときます。(村)

 

肥前陶磁の様式変遷図

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