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山辺田遺跡の出土品(33)

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山辺田遺跡や窯跡といえば、古九谷様式の色絵大皿がよく知られています。そのため、古九谷様式を最初期の色絵磁器の様式と捉えられている方もいらっしゃると思いますが、本質的には、古九谷様式の技術とは、当時の景徳鎮と同等品を生産するための技術であり、それが具現化された製品が古九谷様式の製品ということになります。

そのため、製品のスタイルが従来の初期伊万里様式から一変し、皿などは高台幅が大きくなり高台内に銘や圏線を配し、外側面に唐草などの施文を配すルールなども確立しました。同時に朝鮮半島の技術をベースとするため欠落していた色絵の技法も加えられました。つまり、色絵の技法は、古九谷様式の技術を構成する一つの要素ではありますが、全体ではないのです。つまり、古九谷様式が色絵磁器に限った様式ではないということです。

古九谷様式に色絵以外の製品があることは、逆に、以前の方が一般的に認識されていました。たとえば、今でも時折見かけますが、かつては「藍九谷」という用語がよく使われていました。まさに、染付版古九谷という意味です。ただし、色絵古九谷と藍九谷は、必ずしも生産時期がピタッと一致するわけではありませんが。スタートは、同時か色絵がやや早めといったところですが、当初は数量的には色絵が圧倒します。しかし、後ろは藍九谷の方がずっと長く続くのです。これには分類上のからくりがあるのですが、長くなるので詳細は後日また触れてみたいと思います。

前置きが長くなりましたが、この染付版の古九谷様式の製品について、今回からいくつかの皿をご紹介し、最後にその違いや捉え方をまとめてみたいと思います。今回は、図1の染付小皿です。

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図1 染付草花文小皿

口径14.5cmほどの花形に型打ち成形した小皿で、口縁部には口銹が施されています。ちなみに、口銹部の端部が白っぽく見えるのは、サヤ鉢が熔着しているためです。内面の見込みには、何の花だか分かりませんが、地面から生えた草花の文様が描かれています。その周囲は花形に二重圏線で内外を区切っており、口縁部は区割りにし、各窓には青海波文や蕾のような文様、紗綾形(さやがた)文などが配されます。また、外面胴部には唐草のような線描き文が2方向残っています。

高台幅が広いことや外面胴部に施文することなど、初期伊万里様式ではなく、古九谷様式に区分されることは間違いありません。内面の文様を、花形に二重圏線で内外に区切り、口縁部側に地文で埋めた区割り文を配す構図は、色絵製品などでも類例があります。しかし、全体的に素地が分厚く、高台の畳付も切りっぱなしで、釉面も青みが強く、初期伊万里様式的な要素も多く見られます。

こうした中間的なものは、形式学的には初期伊万里と古九谷の中間の時期と捉えられやすいのですが、実際には、成立順は初期伊万里、古九谷、中間的なものの順になります。この理由についても、後日、説明してみたいと思います。(村)H29.6.2

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