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有田の幼児教育(有田幼稚園)(2)

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さて、有田幼稚園をもっと詳しく見ていきましょう。
『有田町史政治社会編(2)』によると、大正10年当時、職員は園長と保母が2人、園児は75人(男42人・女33人)。甲(5~6歳)、乙(7歳)の2クラスがあり、保育時間は9時~15時まで。保育の内容は唱歌・談話・遊戯・手技で、料金は月額30銭とあります。また『西松浦郡誌』には同年の経費として1,725円としています。
5~7歳の子ども75人をたった2人の保母でみるなんて、現代では考えられないですね。

館蔵資料『有田町役場日誌』から、有田幼稚園のあゆみを探っていきます。初出は大正9年3月23日に第1回修園式が行われています。その後何件か出てきますが、大正13年8月22日の記事に面白い記述があります。「平林松浦陶時報社長来。幼稚園経営不振に関し注意。坂本校長招き協議」とあります。その後昭和2年2月3日の記事に「幼稚園を町立に変更の件につき・・・」とあり、どうやら経営難のため公立へ移行したようです。その後、昭和9年に12月16日に「10時半より新築保育園において同園並び公益質屋落成挙行」とあり、この後「幼稚園」の名称は出ることなく、「有田保育園」という名称で出てきます。
いったい、いつの間に幼稚園は消えてしまったのでしょう?公立化した時に保育園になったのでしょうか?

その疑問は、当館所蔵の行政資料『昭和二十八年度保育園概要』に記載されていました。これによると、大正8年4月、私立有田幼稚園を設立し、昭和2年4月に町立に移管。昭和10年1月に開設した町立有田託児所は昭和23年10月に既存の有田幼稚園に合併するとともに児童福祉法に基づいて町立有田保育園を設置した、となっています。昭和10年から昭和23年まで、有田幼稚園と有田保育園(託児所)の2つがあったことが分かります。この当時、有田保育園は本園と3つの分園(泉山分園、白川分園、中の原分園)があったようです。本園は公益質屋の隣にあり、おそらくこれが昭和10年に新築された有田保育園でしょうか。そして白川分園がかつての有田幼稚園の施設かと思われます。泉山分園については記録がありませんが、中の原分園は昭和28年に八阪神社に増設されています。

R6g10236 有田町略図_2

『昭和二十八年度保育園概要』より有田保育園の位置図

(1)泉山保育園(泉山分園)(2)白川保育園(白川分園)(3)有田保育園本園 (4)中の原分園


また、歴代園長の記録も残っています。有田幼稚園の園長は初代が深川六助、大正12年から坂本満次郎、大正15年から家永利三郎、昭和2年から古川邦司、9年から吉岡喜助が就任していますが、坂本満次郎以降は有田小学校の校長と兼任です。そして昭和22年からは江口マサが園長となっています。また、有田保育園は、昭和10年の設立以降有田町長が園長を兼務しています。23年に幼稚園と合併し、24年からは久富二六(25年より有田町長)、28年は町長ではなく、今泉荒太郎(のちに有田町町会議員)が園長を務めています。因みに翌29年に東有田町と合併し、新有田町が成立します。

P00041(No.1-2-7)_2

有田幼稚園の記念写真

右奥に「幼稚園」の看板が見える。有田幼稚園の園舎前で撮影されたと思われる。
後方左側の男性は江越米次郎町長。右側の男性は吉岡喜助小学校長兼園長と思われる。右側の女性は深川六助の娘の星野房代先生。昭和9年~14年。

(永)H29.6.14

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