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有田の幼児教育(東有田町と合併後の有田町時代)(4)

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この連載の最初の頃に書いたと思いますが、残念ながら東有田町の記録はほとんど残っておりません。ただ、『有田町史』に、本町にあった保育園のことが書かれています。それには、昭和14年に陶美堂の北、旧酒蔵を陶土工場に転用して保育園として使っており、木造2階建てで、採光が悪かったと書かれています。
また、黒牟田にもどうやら保育園があったようですが、これについていつ、どこに出来たものかよく分かりません。
合併後の昭和29年8月10日発行の『有田町公民館報』(『広報有田』の前身)の記事中に本町、黒牟田の保育園を有田保育園の分園として組み込んでいる一文があります。合併を期に有田保育園に組み込まれたと考えられますので、合併前にはすでに存在していた可能性が高いと思われます。
また、先日れきみん応援団の方がこの黒牟田保育園に通っていた、ということで話を伺うと、現在の黒牟田公民館にあったそうです。その後、丸尾の源右衛門窯近くに移転し、昭和38年ごろはまだあったそうです。

この『有田町公民館報』には、ほかにも中々面白い事が書かれていました。8月1日~8日までは休園し、保母の講習を行うこと。保育時間は、本園と各分園の桃組、本町分園、黒牟田分園は原則午前中保育(午後は希望者のみ)、年少児は午後4時まで(希望者は午前のみ可能)。ミルク、おやつ、給食あり。県の研究指定保育園になったこと、等々。また、入園申込みも公民館報で募集されていたり、お遊戯会の様子(有田小学校講堂で開催)も報告されていたりしています。

さて、時代は下って昭和38年本町保育園(のちに「ほんまち保育園」)の園舎が完成します。次に昭和41年に西部保育園が完成し、のちに「てんじん保育園」になりました。また、昭和43年、泉山保育園(のちに「いちょう保育園」)が完成し、有田保育園の本園・分園制度が廃止されます。また白川分園は有田保育園に統合されますが、昭和45年に「しらかわ保育園」として移転改築します。昭和47年には「すがの保育園」が完成。昭和49年には「なかの保育園」(のちに「あかさか保育園」に変更)が完成しました。昭和38年~49年の約10年間の間に、有田町内に次々に保育園が新改築されることになります。町内に6つの保育園があったことになります。
その後、平成10年の児童福祉法改正を契機に、児童数の半減や施設の老朽化のため、保育園の民営化や移転統合が計画されます。いちょう保育園は平成15年度から休園し、しらかわ保育園に統合されます(平成29年現在しらかわ保育園は休園しています)。すがの保育園とほんまち保育園は統合移転が計画されますが、資金の問題、用地の問題などのためなかなか実現せず、西有田町との合併後の平成21年にようやく「くわこば保育園」として移転統合を実現させます(すがの保育園は平成19年から休園したと思われます)。てんじん保育園とあかさか保育園に関しては、前者は平成12年に同朋天神保育園(私立)に移行、後者は平成11年にあかさかルンビニー保育園(私立)に、その後平成22年に認定子ども園あかさかルンビニー園(私立)として改築されました。
これらの園では、現在もたくさんの乳幼児が元気に活動しています。(永)H29.6.28

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【写真1】本町保育園落成
(昭和38年)
複写 田中家蔵
【写真2】すがの保育園でのミニチュア電車乗車会(平成元年8月) 館蔵

 

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