最後に西有田町の保育園(幼稚園)について紹介していきます。残念ながら西有田町も東有田町と同様に資料が残っていません。ただ、館蔵資料『昭和32年度西有田村建設計画書』に、保育所の設備状況として同朋保育園、山谷保育園、大木保育園、広瀬山保育園(当時はすべて私立)の記載があります。そこで、現在も続いている同朋保育園のHPを拝見しますと、同朋保育園の設立は昭和27年になっています。
また、上記の計画書には幼稚園の設置状況に関する記録がないのですが、現在も運営されているルンビニー幼稚園に問い合わせたところ、ルンビニー幼稚園の設立は昭和29年8月30日だそうです。
これらを考えるに、旧西有田町では昭和20年代後半ごろに保育園や幼稚園が作られたと考えてよいのではないかと思います。これは戦後の法整備後に、全国で次々に保育園・幼稚園が作られる時期と一致します。
さて、『昭和32年度西有田村建設計画書』の記載を紹介しましょう。同朋保育園は定員50名、職員数4名、山谷保育園は定員60名、職員4名、大木保育園も定員60名、職員4名、広瀬山保育園も定員50名の職員数4名と、保育室も大体30坪程度(大木保育園のみ55坪)で、すべて同程度の規模の保育園だったようです。
入園事由としては「両親が労働するため保護するものがいない」が80パーセントで、2位の「環境が悪い」は僅か12パーセントでした。同時期(昭和28年)の有田保育園とは随分違うようです。ただ、旧西有田地区には「ルンビニー幼稚園」という幼稚園がありましたので、幼稚園と保育園ときちんと住み分けされていたのかもしれません。
その後、『西有田町史』によると昭和44年に私立平安保育園が開設(前身はみのり幼稚園)、昭和47年に広瀬・大木・山谷の3館が町立に移行し、公営の保育園となります。そして昭和55年におおぎ保育園として新築落成、58年にやまだに保育園が落成します。平成18年に有田町と西有田町が合併し、新有田町が成立。その後、平成21年に町立ひろせ保育園は同朋広瀬保育園(私立)に移行します。そして平成27年、おおぎ保育園とやまだに保育園が合併し、新しく「おおやま保育園」として移転新築されます。
実は、ここまで原稿を書いたあとで、西館から保育園に関する覚書のメモ(おそらく町史編纂のためにまとめた資料)を見つけました。来週はそれを紹介したいと思います。(永)H29.7.12