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有田の幼児教育(西有田町)(7)

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長いこと続いた「有田の幼児教育」シリーズも今回で終了です。先週紹介したように、西館から保育園に関する覚書が出てきました。おそらく町史編纂のために聞き取り調査したものかとおもわれます。それにより、山谷保育園と広瀬保育園の設立と沿革が分かりましたので、紹介していきたいと思います。

【山谷保育園】

昭和27年3月31日に認可され、当時の定員は60名。地域立の私的なもので、下山谷公民館建物敷地を借用して、地域の有志を園長(佐藤忠次)において発足しました。設置者は石橋菊一。昭和32年に、老朽解体された旧小学校の校舎の古材を使用し建物を建築したようです。昭和47年に土地・建物・備品の一切を譲り受けて町立として定員70名のやまだに保育園が発足しました。当時の園長の池田常一は退職し、保母(当時の呼び名のまま)他職員は町の職員となったようです。この折、床・庇の補修のみで特別に備品や遊具の増設は行っておらず、老朽化が激しかったために昭和58年に敷地を増設して新築落成しました。これが、平成27年まで存続していたやまだに保育園です。

【広瀬保育園】

山谷保育園と同じく、昭和27年3月31日に認可され、定員も60名、地域立の私的なもので、公民館建物敷地を借用して、地域の有志を園長において発足しました。当該公民館の建物は明治30年ごろの黒髪山中の堂の古材を用いて建てたもので、約30坪ほどだったそうです。昭和38年に基準面積不足のため、町の補助を受け、広瀬山・広瀬村区民の寄付により増築します。昭和47年にこれも山谷保育園と同じく、備品一切を譲り受けて町立として定員60名で再発足し、当時の園長廣健三は退職し、保母他職員は町の職員となったようです。ただ、建物については、維持管理修繕は園舎として使用する間は町が管理するようになっており、再三の補修が行われたようです。しかし、本体が明治30年の木材のため全面改築が計画され、昭和59年に新築落成します。前回も書きましたがこのひろせ保育園は平成21年に同朋広瀬保育園(私立)に移行します。

残念ながら、おおぎ保育園については資料が出てきませんでした。しかし、山谷保育園・広瀬保育園と同じように、地区の人による、地区の人のために建てられた保育園であったことは想像に難くありません。このように西有田町にあった保育園は、地元の人のために、地元の有志が建物も材料も地元で調達して一生懸命に作り上げた、まさに「地区の保育園」だったのでしょう。
昭和40年代から少子化が始まり、平成の初めには児童数の減少や施設の老朽化のため、どの自治体でも保育園の統合や閉園が図られたことでしょう。よもや計画から20年もたたないうちに、少子化にもかかわらず保育園が不足するということを一体誰が想像したでしょうか。有田町で待機児童がないのは本当に幸いです。

最近また「地域で子育て」というようなことが言われます。こうして保育園の歴史を振り返り、設立当時の思いを今一度よみがえらせることが、未来を考えていく一助になればと切に願います。(永)H29.7.19

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