先の九州北部を襲った豪雨は、ここ有田町でも土砂崩れが発生するという被害をもたらしました。それは赤絵町にある古刹・法元寺に裏山から線路を越えて土砂が流れ込み、庫裏の一部が損壊するというものでした。
この日蓮宗の法元寺には山門前に「陶器祈願所」という石碑が建っています。元文元年(1736)辰十月に佐賀藩から「山中繁昌・諸災転除」の勤行を命じられ、陶器祈願所となりました。寺内には当時の祈祷札を摺る際の版木や、藩からの書付「覚」が所蔵されており、江戸時代の窯焼きは窯の火入れをする際に寺から祈祷札を貰い受け、焼き上がりの無事を祈ったといわれています。
この元文元年の時点では、祈祷料として藩から毎月銀一枚を寄進され、他にも窯焼きからの寄進が自由に許されていましたが、30年後の安永6年(1777)には陶器方が止められたという理由で、藩からの祈祷料が中止となりました。しかし、一旦は許可し書付まで渡しているので、以前通り祈祷を仰せ付けられるようにと法元寺から願い出、結果として年に銀一枚を渡すことになったということが「皿山代官旧記覚書」に記されています。ただ、それまでは毎月銀一枚だったものが年に一枚というのは大幅減ということになります。藩としても産業の育成・保護という観点から大きな譲歩だったのでしょうけれど、当時はそれほどまでに藩の財政も逼迫していたものと思われます。(尾)H29.7.25
百田さんに活けていただいた今週のお花
グラジオラスが美しいです