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終戦記念日

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本日、8月15日は終戦記念日です。72年前の今日はどんな一日だったのでしょうか。残念ながら、昭和20年の有田町役場日誌は残っていませんが、有田村役場日誌は現存しますので少し紹介しますと、このころ松根採集(航空燃料の原料としたもの)の現地調査や金属回収など、私どももよく耳にした戦時中の事柄が出てきます。さらに、8月の終戦までは昼夜を違わず警戒警報、空襲警報が頻繁に発令されています。これらの詳細は「防空日誌に記載」とありますので、役場日誌のほかに関係書類があったと思われますが、この資料は戦後間もなく処分されたのではないかと推測しています。同様のことが香蘭社でもあったそうで、当時勤務されていた方から、特に軍との関わりがわかるような資料は三日三晩かけて窯で焼却したと伺いました。
また、6月29日の日誌には「今暁の空襲、佐世保市戦災者(避難通過者)休憩慰問」とあり、1200人もの死者が出た前夜の佐世保空襲の被災者が、有田へ避難してきたことがわかります。さらに、7月31日には有田駅の北側にあった岩尾磁器の工場に敵機が襲来し、一人の方が亡くなっているのですが、その記載もあります。昨年、アメリカにこの時の映像が残っていたというので、テレビ局の方から見せていただきました。数秒間の映像を見ながら、この機銃掃射の先に亡くなった方がいたのだと思うと、胸が痛くなるほどでした。

さて、72年前のこの日、日本の勝利を疑うことなく(中には敗戦の気配を感じていた方もいらっしゃったかとは思いますが)、日々の生活の苦労を耐え忍んできた人々は終戦の詔勅をどのように受け止めたのでしょうか?
今回のテーマ展で展示していますが、当時小学生だった村田平八郎少年が戦時中の子ども時代の思い出を巻物に描いています。その中で昭和20年8月15日を次のように書き残しています。

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今日重大ニュースがあるというので胸をときめかしながらラジオの前に坐ったが、思ひかけない天皇陛下の悲そうな終戦のみことのりであった。母もないた、僕もないた、姉さんもないた、みんなないた

未来の子どもたちに二度とこのような思いをさせない日本であってほしいと、心から願っています。
(尾)H29.8.15

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