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今福神社

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来年は唐船城築城800年を迎えるということで、「唐船城築城800年記念事業検討委員会」が立ち上がり、会議が開催されています。先週、担当の(伊)と共に、後に松浦宗家の松浦親となる幸松丸(当時は平戸城主に捕らわれの身であったとのこと)を、神社の祭礼のさなかに有田の池田・庄山・大曲・浦などの家臣たちが救出した折の舞台となった、松浦市今福にある今福神社(年の宮神社)に行ってきました。鬼瓦や鳥居など随所に「三星」の紋章が記されていて、改めて松浦党に深い関わりのある神社だと思った所です。私的なことで恐縮ですが、先週土曜日は、姑の13回忌ということで、菩提寺にお参りした折、そこの寺紋も「三星」でした。当時、この地は平戸・松浦氏の支配下にありました。寺の後方にあった井手平城が天正14年(1586)、大村・有馬の連合軍に敗れて落城し、その折の戦死者を弔うために建てられた寺で、山号も「城持山」。改めて松浦党の広がりを感じました。

その後、松浦党の始祖・源久が築いたといわれる梶谷城跡へ。20年ほど前でしょうか、当時、伊万里・北松地域広域圏組合というものがあって、夏になると地域の歴史探訪会が開催されていました。各市町の文化財担当者がその計画から当日の案内までを行っていたのですが、有田町の担当でもあった(尾)は、この梶谷城跡や伊万里城跡を巡ったり、伊万里湾や平戸島周辺などを船から地上を眺めて、元寇のころや江戸期の焼き物取引などの様子を思い浮かべ参加者とともに楽しんだ思い出があります。でも、哀しいかな、当時の事はおぼろげで、この道は来たような来なかったようなと、かすかな記憶を辿りながら踏査してきました。もちろん、こちらに時間の経過があるように、遺跡もまた同様で新しくなった説明板や駐車場、トイレなどの整備などが行われていて、見違える場面もありました。

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今福神社梶谷城跡

さらに午後は今福から約1時間かけて、鷹島にある松浦市水中考古学研究所に勤務されている中田所長を訪ねました。同じ松浦市内ながら、鷹島に車で行くには鷹島大橋を渡るのですが、伊万里市、唐津市肥前町を経由して再度松浦市鷹島へという道のりです。前述の歴史探訪会で一緒に担当した中田さんは毎日、この道を通勤されているとのことでした。中田さんからは松浦市で取り組まれている水軍祭りの状況や、行政と市民の皆様との協働の実態などを詳しくお聞きすることができました。(尾)H29.9.5

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百田さんに活けて頂いた今週の生花

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