135年前の今日、明治15年(1882)9月26日に八代深川栄左衛門、百田恒右衛門、藤井恵七、同喜代作、川崎精一らによって設立されたのが有田貯蔵会社です。これは有田に設立された会社組織による最初の金融会社です。栄左衛門はこれをさかのぼること半年前の同年3月に、鍋島家と在京佐賀県出身の大隈重信など有力者の出資を受け、伊万里の豪商松尾貞吉や石丸源左衛門らを中心に設立された伊万里銀行の設立にも尽力して同行の取締役に就任しています。
この経験を通して地元有田にも金融機関設立の必要性を痛感し、有田貯蔵会社を設立しました。会社の場所は『肥前陶磁史考』によれば、泉山の玉屋(深海光之助宅、後鶴田次平の住居となり次に有田工業学校の教師だった徳見知敬の住宅となった場所)であったそうです。その後、明治21年7月には有田貯蔵銀行と商号を変更し、銀行に転換しています。さらに、同26年7月、商法施行を機に普通銀行に転換して株式会社有田銀行となっています。場所の移転がいつごろであったかは明確ではありませんが、札の辻に有田銀行があったころの写真があります。ちなみに第一国立銀行の開業は明治6年で、その後、三井為替組が名を改めて三井銀行になったのが明治9年で、これが私立銀行のはじめとされています。石井研堂著『明治事物起原 五』によれば、このころ全国では169行が設立していたとにあります。
ある本には「明治10年ごろまでは江戸時代が続いていた」という一文がありましたが、10年以降になると本格的に近代化が進んでいった結果として、この有田でもこのような会社組織の金融会社が出現したといってもいいのではないでしょうか。(尾)H29.9.26
後方に見えるのが有田銀行(昭和初期の道路拡張時)