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有田の陶磁史(327)

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   前回は、やっと年木山の技術が移転して最高級品の生産場所になった、南川原山について触れはじめたところでした。続きです。

 技術移転前に、南川原山には下南川原山に南川原窯ノ辻窯跡があり、上南川原山には樋口窯跡がありました。そして、技術移転に際して、新たに柿右衛門窯跡と平床窯跡ができました。こうした南川原山の窯場の中で、最初からバリバリの最高級品生産を行ったのが柿右衛門窯跡です。酒井田家もそうですが、楠木谷窯跡の主力級の陶工が集まって開設したのがこの窯でしょうね。

 ほかの窯はと言えば、南川原窯ノ辻窯跡のそばに新しくできた平床窯跡は、一部高級品もあるけど、まあ、内山の下の中級品レベルってとこでしょうね。南川原窯ノ辻窯跡も、クソ下手物から完全に脱してないとはいえ、まあ、これも中級品レベルかな。それで、上南川良山の樋口窯跡も南川原窯ノ辻窯跡と同じような感じ。つまり、最初から全部最高級品ばかりってわけでもなかったんです。でも、1660年代はじめ頃までには、平床窯跡は廃窯になってしまいますけど、南川原窯ノ辻窯跡や樋口窯跡は、けっこう上手になったやんって感じかな。だんだんよくなります。だから、新生南川原山ができあがる時に、そっくり陶工を入れ替えたってわけじゃなさそうですね。

 こうして、内山の海外輸出の拠点化施策が実行に移された結果、最高級品生産の南川原山と大川内山の一部、高級量産品生産の内山、中級品生産の外尾山や黒牟田山、下級品生産の応法山や広瀬山、大川内山って、山ごとの生産品のレベル別区分ができたんです。それで、こうしてやっと「内山」「外山」という概念や地名ができあがったわけです。つーか、これでやっと毎回“後の”って書かなくていいので単純にうれしい…。

 まあ、ひと言で言えば、藩の産業的磁器生産の中心地という意味での「内山」とそれを補完する「外山」ってことです。一番大きな違いは、内山は全体が1つの大きな工場みたいなもんですが、外山は山ごとに性格が異なります。以後、この製品ランク別生産が19世紀に至るまで約150年くらい続くわけです。

 あっ、お断りしておきますが、あくまでも高級品生産がよくて、下級品生産はつまらんって話じゃないですからね。芸術作品作ってるわけじゃなくて、商品作るわけですから。有田の磁器なんて、当時は最先端の工業製品ですからね。本質的には、いい製品っていうのは、よく売れて、よく儲かる製品であって、決して製品の完成度とか芸術性とかは関係ありませんから。それよりも、こうして有田皿山の中で、磁器に関しては上から下までがっちりスキマ無く需要を押さえられることで、市場を主導的に操ることができるってのが重要なんです。(村)

 

 

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