前回は、17世紀後半の色絵素地は白磁が大半って件を思い出したので、それについて話してたら、それすら終わりませんでした。続きです。
前回お話ししたとおり、外山の南川原山や大川内山では、染付入りの色絵もそれなりには生産されています。特に、大川内山はその割合がバカ高です。これは、古染付・祥瑞系の影響が大きい技術を引きずっているからです。だって、祥瑞手って地文や丸文が特徴的ですが、もともと丸文とかの輪っかだけ染付で入れて、内部の文様は色絵ってのがお決まりのパターンでしょ。
ところが、内山では本焼きと上絵付け工程が分業化されたので、そう簡単にはいきません。染付入れると、別々の業者間で、一つの設計図共有してなきゃいけないってことですからね。内山ってすごい種類の製品作ってるのに、いちいちそんなことしてたら、本来の効率的量産目的には逆行しますよ。白磁なら、素地は同じでも、いろんな文様描いて、はい!別の種類できあがり!!って具合でいいですから。
しかも、内山は喜三右衛門さんちの洗練された技術がおおむねベースになってますので、白磁と染付では素地から製法が違います。このタイプの白磁素地は、後に南川原山ではいわゆる乳白手として発展するものですから、最初から染付なしを前提としています。乳白手素地は、釉薬が薄く、鉄分も少ないですので、呉須が黒くなってうまく発色しません。
しかも、本家の景徳鎮磁器と違って、有田の場合は、古九谷様式の時代から、すでに上絵の青を使えてますから、わざわざ下絵で入れる必要もないですしね。ちなみに、景徳鎮では康煕五彩からで、1700年頃にはじまるって言われてますので、今後研究が進んで遡ることがあっても、古九谷よりも前にくることはないと思いますけどね。
その代わりって言っては何ですが、内山で量産したとまでは言いませんが、多少作っている染付と上絵を併用した色絵があります。それは染付製品としてすでに構図が完結しているものに、赤や金などで文様の輪郭をなぞっているようなタイプです。これだと、染付製品としても出荷するし、色絵製品としても出すので、分業の弊害はないですからね。しかも、こういうタイプは、実は、楠木谷窯跡なんかによくあるパターンで、つまり、あらかじめ喜三右衛門さんちの技術に組み込まれてるもんなんです。
とは言っても、もちろん内山に染付入り素地を使った普通のもんが、まったくないってわけじゃないんですよ。でも、やっぱ窯焼きと赤絵屋で、綿密な設計図の共有は必要ないやつですが。それは、壺とか鉢とかが多いかな?口縁部や腰部などに染付圏線だけ入れるやつです。逆に、何でわざわざ下絵でやる必要があるの?って感じですが、青で圏線入れたかったのかもしれませんね。
上絵の場合、圏線に使うのは赤が普通で、青を使ってるもんなんて見かけませんから。わたしは作る人じゃないのでよく知りませんが、赤や金みたいなガラス化しない絵の具はともかく、ガラス化して発色する青や緑、紫ほかの色は、線には適さないのかもしれませんね。
ということで、内山で染付入りの色絵素地が一般的になるのは、もっと分業制度が熟してきて、そう…、1690年代に金襴手古伊万里様式がはじまる頃まで待たないといけません。
ということで、本日はおしまい。(村)