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有田の陶磁史(408)

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   何だか、ここしばらく何で内山がヨーロッパ向けの生産に適しているかって話をしているような…?続きです。

 正確に言えば、内山では海外輸出用はヨーロッパ向けだけを生産してたわけじゃなくて、当時まだ高価だった色絵に関しては、東南アジア向けも生産していました。古九谷様式の生産時代には、有田じゅうで色絵磁器は生産されていましたが、山ごとの製品ランク別生産体制が確立したことで、高級品生産の南川原山や大川内山を除く中級品以下の外山の山では、色絵生産からは撤退しました。

 つまり、楠木谷窯跡の南京赤絵系の技術は南川原山に移って、柿右衛門様式へと発展し、猿川窯跡の古染付・祥瑞系の技術は、新設された大川内山に移転して、日峯社下窯跡の中で、鍋島様式として確立するわけです。しかし、もう一つの山辺田窯跡の万暦赤絵系の技術は、山辺田窯跡は廃窯になりますし、そのDNAを受け継いでいた周辺の山も中・下級品生産の山になったことで、色絵磁器生産からは撤退してしまい、後継技術もないまま完全に絶滅してしまいました。

 もっとも、商品生産ですから、もし山辺田窯跡っぽい製品がヒットし続けていたら、何らかの形では、たとえムリクリにでも、残ったはずですよ。いや、製品のゲージュツ的良し悪しは関係ありませんよ。ゲージュツ作品作ってるわけじゃないので、売れて儲かるか儲からないかが絶対的な価値基準ですから。古九谷と言えば、すぐに芸術性がなんちゃらなんて言われますが、それはあくまでも現代の感覚による美術的な価値観で、それをさも当時の商品としての価値の高さかのような捉え方をするのはどうですかね…?

 南京赤絵系だって古染付・祥瑞系だって、そのままの形で技術が残ったわけじゃないでしょ。ちゃんと時代の要請に合わせて洗練度やスタイルを整えたから、つまり進化したから残ったわけです。そんな万暦赤絵系の製品だけが、古い技術のまま残る道理がありません。

 それにねっ。17世紀後半には、内山以上しか色絵は生産されていません。そしたら、たとえ万暦赤絵系の技術が残っていたと仮定しても、内山で生産される乳白色のキレイな色絵素地に、洗練度の進んだやや淡い色調の上絵の具で絵付けしても、万暦赤絵系の製品っぽくなると思います?

 だって、17世紀後半にも、緑や黄色を主体とした山辺田窯跡の製品と同様な寒色系の配色の伝世品も珍しくないですが、それを今どき古九谷様式って捉える人はいませんよね?つまり、万暦赤絵系は、時代とともに発展するチャンスに恵まれなかったので、ジ・エンドってこと。

 なので、そんな古くさい技術の製品が、一部地域ではいまだに唱えられる、元禄(1678~1704)頃まで生産が続いたなんてことは絶対ないってばー。かつて、柿右衛門様式が海外向けで、国内向けが古九谷様式なんて説がまことしやかに流行ったこともありましたが、だから~、そういう新旧の技術の製品が対等に併存することなんてないない…。

 たとえば、新型のスマホが発売されたのに、ふる~いスマホを同じ値段で買う人いますか?新製品の発売とともに、古いやつは発売中止になるか、普及帯の製品として値段下げて残るかでしょ。それも、あんまり古い機種は、さすがに時代遅れすぎて使い物になりませんしね。

 というわけで、本日は、さらに何も進みませんでしたね。まあ、その時々の思い付きで書いてますのでご容赦を…。(村)

 

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