前回は、お殿さま・上級武士さん編を終えて、やっと下級武士さんの話に入れたところでした。下級武士さんは、はっきり言って、なかなか歯ごたえがあって難しいです。だって、形式学は使えませんもん。伝世品もほとんどないので、どんなもんだか図録とかで見る機会もそんなに多くはないはずです。まあ、少しくらい伝世してるとは思いますけど、はたしてちゃんとした製作年代が当てられているのか、はなはだ疑問ですしね。
一方、遺跡の発掘調査の場合は、伝世品と違って、いいものばかり選別されてるわけじゃないので、あるがままに出土しますよ。なので、発掘調査報告書なんかには載ってますが、下級品とかが本当に古いものとちゃんと識別できてるかは、また別の話ですからね。
幸いなんだか不幸なんだかは分かりませんが、ここで取り上げている江戸の場合だと、たびたび大火事になってるので、遺跡ではその火災層を基準として、出土品の年代が分かることも珍しくありません。
ただし、遺跡の発掘調査の仕組みが分かってる方にあえて説明の必要はありませんが、ここはそんなProな方ばかりお立ち寄りになるわけじゃありませんので、一応仕組みについて説明しときますね。
もちろん、どの火事でも、江戸全体が焼けたわけじゃありませんが、たまたま大きな火事に遭遇すると、その時の焼土層や、その片付けの際の土層なんかが堆積します。
ここで問題にしている有田の窯業の大再編期に近い頃の、最初の大きな火事と言えば、1657年のあの有名な明暦の大火かな。別名振袖火事とも言いますね。それから、よく遺跡の出土品が知られているのは、八百屋お七の物語でおなじみの、天和2年(1682)の火災で、時期的にすでに柿右衛門様式まで揃ってますので、遺物のスタイルぐちゃぐちゃ具合はこの火事の層の方がおもしろいですね。
それはいいですが、この火災層で出土するものは、どういう位置付けができるかと言えば、火事が原因で一斉に廃棄されたものですので同時性があります。つまり、それより後の年代のものは入ってきません。
ただし、必ずしも出土品がみな同じ時期のもの、というわけではないのはお分かりいただけるかと思います。だって、消費遺跡で出土するものって、使用期間ってもんがあるでしょ。たとえば、10年間大切に使い続けたもんもあれば、買ったばかりだったのに、火事で失っちゃったってもんもあり得るのでね。
つまり、生産時期的には同じではないってことです。その火事よりも新しいものは火事関係の土層には入ってきませんが、逆に古いものは含まれる可能性があるってことです。これって、下級武士さんよりも、むしろ大名さんなんかの方が極端なことが多いですね。だって、骨董品とか持ってるので。たとえば、中国が明から清に変わるのは、1644年のことですので、17世紀後半といえば当然清朝時代です。でも、大名さんとかは、明時代の古きよき時代の製品を後生大事に持ってたりするんですよ。中国製品に限らず、日本のものも同じですよ。まあ、もう少し時期が下って元禄バブルの頃になると、新興の大商人さんたちは、大名さんたちみたいに元から持ってたわけじゃなくて、古いものを高額で取引したりもしてるみたいですが…。
なので、こうした遺跡での出土状況の場合、発掘調査した人が、古いものと、下級品をちゃんと見分けられる目が必要になってきます。まあ、たいがい最初は頭を抱えるんですけどね。さっき述べたように、火災の時期よりも古い製品は出土してもOKなわけですよ。でも、これはそうじゃなくて、きっと下級品だから古いスタイルなんだって判断するのは、一般的に知られる研究成果には反してるように見えるので、なかなか勇気がいるんだな~。
ただし、これは生産の現場でどうなっているのかを知らない限り、そもそも消費遺跡の出土状況ではいくら考えても答えの出しようがないんですけどね。
つーことで、本日はこの辺までにしときますね。(村)